【オヤジの仕事】ビートルズ初代ディレクター・高嶋弘之氏が明かす娘・高嶋ちさ子さんの意外な素顔

ズバズバと言いたいことを言いながらも、多くの女性の支持を得ているバイオリニスト・高嶋ちさ子さん(51)。たくましい言動に驚かされるが、へこたれない強さを羨ましいと思う人も少なくないだろう。そんなちさ子さんの父・高嶋弘之さん(85)はビートルズの日本の初代ディレクターとして知られ、俳優・高嶋忠夫さん(故人)の弟でもある。弘之さんはどんな父親だったのか。娘をいかにしてたくましい女性に育て上げたのか。弘之さんに聞いた。

子供たちとの思い出を面白おかしく話す高島弘之さん【写真:山田隆】
子供たちとの思い出を面白おかしく話す高島弘之さん【写真:山田隆】

“朝食は家族揃ってとる”のが高嶋家のルールだった

 ズバズバと言いたいことを言いながらも、多くの女性の支持を得ているバイオリニスト・高嶋ちさ子さん(51)。たくましい言動に驚かされるが、へこたれない強さを羨ましいと思う人も少なくないだろう。そんなちさ子さんの父・高嶋弘之さん(85)はビートルズの日本の初代ディレクターとして知られ、俳優・高嶋忠夫さん(故人)の弟でもある。弘之さんはどんな父親だったのか。娘をいかにしてたくましい女性に育て上げたのか。弘之さんに聞いた。

 僕は早稲田大学を出て東京芝浦電気(現・東芝)のレコード事業部に入社したんだけど、家内は1、2年後に新入社員として入ってきた後輩。ちょっと自慢になるけれど、当時、映画女優の野添ひとみ(故人)に似ていると言われたほどの美人でね。野添ひとみよりずっと美人だったけど(笑)。性格は柔らかくて……今、振り返ると、家内とはモノの考え方、生き方がとても合っていたと思います。家内を3年前に間質性肺炎で亡くしたので、僕は今、家に帰っても話をして一緒に笑う相手がいない。それが、ものすごくつらいですよ。

 僕は外でよくしゃべるけど、家だともっとしゃべるんです(笑)。家内とも子供たちとも。家内とは昭和37年(1962年)1月に結婚して娘、息子、娘と生まれました。僕は当時、仕事に打ち込んでいて、家には寝に帰るような状態。ときには3時間睡眠なんていうこともありましたから、平日は家族と一緒に夕食がとれない。そのかわり、朝食は必ず一緒に食べていました。それが高嶋家のルール。朝食をとる間、日々の出来事や学校の成績がどうとか、いろんな話をしました。「勉強しなさい」という普通の親でしたよ。

「ちさ子は何十回も『ハゲ! ハゲ!』って…」

 3人の子はそれぞれでしたけど、二女のちさ子は幼い頃から面白い子でした。3歳の頃、妹夫婦の別荘に遊びに行くことになったんだけど、その前に妹から電話があったんです。「夫は髪が薄くなったのを気にしているので、ちぃちゃん、『ハゲ』って言わないでね」って。そうしたら、別荘の最寄りの駅に着く直前に、ちさ子は何十回も「ハゲ!ハゲ!」って1人で言っているんです。「後で言わないですむように、今のうちに言っておく」って(笑)。

 長女の未知子はダウン症でね。家内には大変な苦労をかけました。僕は忙しい仕事のおかげで気が紛れた部分があったけど、家内は医者から告げられたとき失神してしまった。でも「落ち込んでもしょうがない」と前向きになってくれた。それは僕も同じ。音楽の本を書いた時には長女のことも書いてみんなに配った。

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