厳罰化で誹謗中傷はなくなるか 「一家全滅しろ」事故遺族が晒された壮絶な罵詈雑言

ネット上の誹謗(ひぼう)中傷に対する法整備の一環として、今年7月に「侮辱罪」が厳罰化、10月1日には「プロバイダー責任制限法」が改正・施行される。これまでよりも発信者の情報開示が行いやすくなり、被害者が発信者の法的責任を追及しやすくなることが期待されているが、果たしてネット上の誹謗中傷は根絶できるのか。3年前に交通事故で父を亡くして以降、数多くの誹謗中傷に晒され、今月28日に初めて告訴状が受理された三島死亡事故遺族の仲澤杏梨さんに話を聞いた。

父・勝美さんの遺影を持つ仲澤杏梨さん【写真:ENCOUNT編集部】
父・勝美さんの遺影を持つ仲澤杏梨さん【写真:ENCOUNT編集部】

捜査ミスで被害者側に過失があったと発表、判決後には警察が異例の謝罪

 ネット上の誹謗(ひぼう)中傷に対する法整備の一環として、今年7月に「侮辱罪」が厳罰化、10月1日には「プロバイダー責任制限法」が改正・施行される。これまでよりも発信者の情報開示が行いやすくなり、被害者が発信者の法的責任を追及しやすくなることが期待されているが、果たしてネット上の誹謗中傷は根絶できるのか。3年前に交通事故で父を亡くして以降、数多くの誹謗中傷に晒され、今月28日に初めて告訴状が受理された三島死亡事故遺族の仲澤杏梨さんに話を聞いた。

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 仲澤さんの父、勝美さんが交通事故で亡くなったのは2019年1月22日。仕事先から原付バイクで帰宅途中、交差点で信号無視をした乗用車にはねられた。当初、静岡県警三島署は乗用車を運転していた女性の「原付バイクが無理な右折をしてきた」という虚偽の証言を信じ、勝美さん側に過失があったと発表した。警察の発表と父が普段使っていた通勤ルートが違うことに違和感を持った仲澤さんは、SNSやビラ配りで目撃情報を募り、警察の初動捜査のミスと相手女性のうそを証明。女性の逮捕後は実刑判決を求める署名活動を続け、21年3月、加害者女性には執行猶予付きの判決が下った。

 判決後には、事実上の交通事故捜査のトップである静岡県警本部の交通捜査室長が、警察の過ちを認め謝罪するという異例の対応を行った。地道な活動が実を結び、父の名誉挽回を果たした仲澤さんだが、SNSに顔と名前を出して発信をしたことで、それまでの一般人としての生活は一変。活動開始直後から現在に至るまで、深刻な誹謗中傷の嵐に晒されてきた。

「活動当初から『警察の発表が間違ってるはずがない』『遺族が金目当てで騒いでいる』と書き込みが始まりました。『こんな茶髪のチャラ男が、真面目なわけない』とか『事実をすり替えて新しい被害者を作るな』といったものから、私や妹の名前を『DQN(ドキュン)ネーム』とやゆしたり、弟の病気のことを指して『早く死ねばいい』『一家全滅しろ』というものまで。多くは事故とは何も関係ないものばかりでした」

 交通事故の遺族に誹謗中傷を行うという、理解しがたい心理。いったいどんな人間が行っているのだろうか。仲澤さんがあまりにも書き込みがひどかったアカウントに対し、告訴の意思があることを伝えると、携帯電話に着信がかかってきたという。

「加害女性の肩を持つ地元の人かと思ったら、まったく関係のない他県の主婦の方でした。泣きながら、『自分だって毎日大変なのに、あなたがSNSでいろんな人から応援されていてうらやましかった』と言われました。『もう書き込みはしない』と言っておきながら、しばらくたつとまた似たような書き込みがあって、『これあなたですよね?』と問い詰めたら今度は静岡まで謝りにいくと。もうそういう人なのかとあきれることしかできませんでした」

花が供えられた事故現場の交差点【写真:ENCOUNT編集部】
花が供えられた事故現場の交差点【写真:ENCOUNT編集部】

「もう立ち直ったの?」 遺族に向けられる厳しい視線

 この他、明らかな誹謗中傷とは言えないまでも、遺族に向けられる視線は厳しい。今年1月、民放のドキュメンタリー番組が一連の事故と裁判の内容を特集。放送後には、仲澤さんが裁判期間中に妊娠していたことをやゆするような書き込みが多くあったという。

「裁判がどれだけ長引くものかも分かっていない人から、『やることはやってるんだな』と。ずっとふさぎこんでいる母を元気づけようと、メイクやネイルをしてあげたときもそうでした。少しおしゃれをしたり、たまに笑顔を見せただけで『もう立ち直ったの?』と言われる。遺族は妊娠してはいけないのか、普通の人生を生きてはいけないのかと」

 ある日突然事故で父を奪われ、いわれなき誹謗中傷に晒される現実。顔と名前を出して活動することに迷いはあったが、父の名誉を挽回するためにはそれしか手段がなかったと振り返る。

「東京のような都会から離れた田舎で、顔を出して取材を受けるリスクは感じていました。それでも、やっぱり顔を出さないとなかなか取り上げてもらえない。この事件のことをもっと世の中の人に知ってほしい、父の無実を証明したいという思いで始めたので、後悔はしていません。刑事裁判が終わり、ひとつの区切りはつきました。応援してくれる人の中にも『もうそろそろ自分の人生を生きた方がいい』という声もありますが、誰かが安全運転を心がけてくれたり、同じような遺族の方の支えになればという思いもある。今後も続けていくつもりです」

 仲澤さんは今回、判決のあった21年3月15日にネット上の掲示板に書き込まれた「不服申し立てしたアホ」という投稿について、侮辱罪にあたるとして父・勝美さんの誕生日である9月16日に告訴状を提出、28日に正式に三島署に受理された。同じような事故遺族に寄り添うため、悪質な誹謗中傷に立ち向かうため、何よりも亡くなった父の名誉のため、仲澤さんの闘いはまだ続いていく。

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