“女子プロレス界の横綱”里村明衣子インタビュー 「GAEA JAPAN解散と復活」の思い【前編】
「最後じゃないかも…」長与とのラストマッチ後に湧いた“直感”
――では、敢えて取り入れなかったことは?
「これは今だから考えられる事なんですけど、あの時って“プロレス熱”が凄かったんですね。GAEA JAPANの大会が常に満員だったところとか、一人ひとりが持っていた熱が半端じゃなかった。ホントに凄い厳しかったんですよ。たとえばビッグマッチ前は寝ないのが当たり前とか。ビッグマッチ前、私たちは寝たことがなかったです」
――睡眠を取らずに、何をしていたのですか。
「準備です。選手は練習ですよね。スタッフに関してはビッグマッチに向けての策を練っていて。選手は『その大会での試合の事だけを考えろ』という圧を先輩から受けていて、寝ちゃいけないみたいな雰囲気がありました。とにかく寝ちゃいけないんだっていう意識が常にあって。だからビッグマッチ前は数日前から寝た事がなかったんですよ。テレビなんて見る余裕がないくらい。みんなですよ。それくらいひとつの大会に全員が集中していましたね。その熱というのがイコール厳しさだったんですよ。その厳しい中でも切磋琢磨しながらやっていった事は、仙女は未だにできていないんです」
――でも、敢えてその時代をコピーする必要はないと。
「そうですね。一度も徹夜させたこともないですし(笑)。そこは今の時代に合わないです」
――あの時代は徹夜の連続によって緊張感をピークに持っていったのですか。
「そうです、ピークに持っていきました。それをこの時代にやったら絶対にコンプライアンスに引っかかっちゃうんで(笑)。良いところはちゃんと取り入れつつも、そこはアレンジして考えています」
――取り入れた部分で最も大きいのは新人の育成ですか。
「常に道場を構えて選手がいつでも練習できる環境だとか、あとはプロレス一本でバイトしないでプロレス団体の所属でやっていくというところは未だに変わっていないですね」
――2月5日に発表された「GAEAISM」開催会見での里村選手のコメントが凄く印象的でした。「解散の日、長与さんの引退試合の相手を務めさせていただきました。そのとき直感的に“これが最後ではないな”と感じたのを覚えています」と。現実にはGAEAが終わり、長与さんも引退、でも里村選手は最後ではないと感じた。終わりたくない気持ちが大きかったのか、それとも……。
「長与さんの引退試合を務めさせていただきましたけど、長与さんは絶対にこの終わりに満足していないし、プロレス界から離れるわけがないと思ったんですよ。でも離れてしまったというところに私はちょっと引っかかっていたといいますか、実際に長与さんはプロレス界の歴史を作ってきた人だと思いますし、“プロレスこそが人生”の方だって。常々プロレスのことしか考えてなかったので、私もその終わり方にあまり納得がいっていなかったんですね」
――仙女を続けながら長与さんを待っていたところはありますか。
「待ってはいなかったです。自分のことで精一杯、自分の団体で必死だったので(苦笑)」
<後編につづく>
インタビュー・撮影協力:ホテルグレイスリー新宿
□里村明衣子(さとむら・めいこ)、1979年11月17日生まれ。3才より柔道を始め、中学時代に女子柔道部を設立し、県大会優勝。その後新日本プロレスを観戦しプロレスラーを目指す。長与千種率いる「GAEA JAPAN」の第一期オーディションをトップで合格し、95年デビュー。「GAEA JAPAN」解散後、2006年に「センダイガールズプロレスリング」を旗揚げ。「女子プロレス界の横綱」と称され、現在活躍中。