“女子プロレス界の横綱”里村明衣子インタビュー 「GAEA JAPAN解散と復活」の思い【前編】

1995年に起ち上げられ、10年後の2005年に終止符を打ったGAEA JAPAN(ガイア・ジャパン)が、旗揚げと同じ4月15日、旗揚げ&解散興行の場所でもある東京・後楽園ホールで一夜限りの復活、「GAEAISM -Decade of quarter century-」を開催する。セミファイナルには“GAEAISM THE HISTORY”と銘打たれた6人タッグマッチ、長与千種&里村明衣子&広田さくら組 VS KAORU&永島千佳世&植松寿絵組が行われ、メインイベントでは“GAEAISM THE FUTURE”と題した、長与千種と里村明衣子の一番弟子同士が一騎打ちで激突する。本稿ではGAEA解散後、仙台で「センダイガールズプロレスリング」(仙女)をスタートさせ、“女子プロレスの横綱”とまで呼ばれるようになった里村に「GAEA限定復活」への思いを聞いた。

センダイガールズプロレスリングの里村明衣子【写真:新井宏】
センダイガールズプロレスリングの里村明衣子【写真:新井宏】

突如発表になったGAEA JAPAN一夜限りの復活 里村の心境は

 1995年に起ち上げられ、10年後の2005年に終止符を打ったGAEA JAPAN(ガイア・ジャパン)が、旗揚げと同じ4月15日、旗揚げ&解散興行の場所でもある東京・後楽園ホールで一夜限りの復活、「GAEAISM -Decade of quarter century-」を開催する。セミファイナルには“GAEAISM THE HISTORY”と銘打たれた6人タッグマッチ、長与千種&里村明衣子&広田さくら組 VS KAORU&永島千佳世&植松寿絵組が行われ、メインイベントでは“GAEAISM THE FUTURE”と題した、長与千種と里村明衣子の一番弟子同士が一騎打ちで激突する。本稿ではGAEA解散後、仙台で「センダイガールズプロレスリング」(仙女)をスタートさせ、“女子プロレスの横綱”とまで呼ばれるようになった里村に「GAEA限定復活」への思いを聞いた。

――GAEAが旗揚げと同じ日、同じ場所で一夜復活。復活興行が決まったとき、里村選手は何を感じましたか。

「決まったと聞いた瞬間、旗揚げから25年も経っているのに『今も現役でリングに上がっている選手がいる!』と思いましたね」

――自分以外に?

「同期も加藤園子と永島千佳世の2人がいまも現役ですし、あと、広田さくらも上がってますし、KAORUさんもいる。『結構いるじゃん!』って。それ自体が奇跡だと思いました」

――自分の中でイメージした対戦カードはありますか。

「いや、対戦カードについてはまったく無かったです。カードについては実行委員に全部お任せという感じでしたね。まだ現役いっぱいいるなと思って。その思いが一番でした」

――里村選手といえば長与千種さんの一番弟子。GAEA解散から仙女を旗揚げしました。仙女を起ち上げるにあたり、GAEAの再現、あるいは延長を意識したのですか。

「正直、延長という意識は無かったです。ただ、私がGAEA解散した時に、こんなに素晴らしい世界なのに、なんでこうなってしまったんだろう、という思いがすごくあったんですね。一期生が当時に置かれた環境とか、女子プロレス団体としてこんなに最高な環境はないと思っていたんですね」

――道場があり、練習づけになり。

「そういう環境というのは絶対にこれからも財産だし、自分が凄い経験をしてきたからこそ、またさらに下に繋いでいきたいなって。今度は自分がやらなきゃいけないなってすごく思いました。当時は長与さんも引退して、もうプロレス界から離れてましたから」

――自分がやらなくてはならないという使命感ですね。

「使命感ですね。使命感がすごくありました」

――GAEAで経験してきたことで、仙女で取り入れたものは?

「やっぱりGAEAの練習環境というのは、私にとって理想の全てでした。道場があって、常に選手がそこで練習できて、プロレス一本に集中できる。厳しすぎるところはありましたけど、いまの若い子たちにはそこをある程度変えるのは問題ないじゃないですか。時代に合わせていけばいいと思ったので。GAEA JAPANの良いところとこれから自分のやりたいところを混ぜていったような感じですね」

――そうして仙女を創り上げていったと。

「そうですね」

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