DDTらしさを体現する副社長レスラー・彰人 そのプロレス頭脳とセンスが蛍光灯1本デスマッチで爆発

DDTの“副社長レスラー”彰人がジョーイ・ジャネラとの「蛍光灯IPPONデスマッチ」に「DDTと彰人を世界中に発信する」と不退転の決意で臨む。

さわやか笑顔の彰人。そのプロレスセンスでDDTをけん引する【写真:柴田惣一】
さわやか笑顔の彰人。そのプロレスセンスでDDTをけん引する【写真:柴田惣一】

ジョーイ・ジャネラとの「蛍光灯IPPONデスマッチ」に臨む

 DDTの“副社長レスラー”彰人がジョーイ・ジャネラとの「蛍光灯IPPONデスマッチ」に「DDTと彰人を世界中に発信する」と不退転の決意で臨む。

 8月14日の東京・後楽園ホール大会でDDT EXTREME王者としてジャネラの挑戦を受けて立つ彰人。ジャネラといえば米国のGCW、CZWなど多くの団体で暴れまわり「ケニー・オメガとやりたい」とAEWに乗り込んだハードコア戦士。デスマッチだけではなく、オールドスタイルなど、どんなファイトスタイルでもこなす32歳。今まさに全盛期を迎えており、世界中のプロレスファンの注目を集めている。

「世界のスーパースター」ジャネラから「ケニーもエル・ジェネリコも保持したEXTREMEのベルトを自分も巻いてみたい」と対戦オファーが届いたのだから、願ったりかなったり。「彰人そしてDDTの名前をさらに世界に広めるためにも絶好のチャンス」と冷静ながら、彰人の口調は熱くなる一方だ。

「井の中の蛙で良い」と明言する彰人は「海外志向はない」とキッパリ。DDTとしての海外大会には乗り気だが、「今は世界中に発信できるネットワークがある。DDTの魅力をDDTらしさ全開の会場から送り届けることが、自分が最大に貢献できることだと思う」とクールそのもの。

 リング上に蛍光灯が1本用意され、それを割った選手の負けとなる「蛍光灯IPPONデスマッチ」は、まさに彰人らしさが最大限に発揮される試合形式。ただ強いだけでも、蛍光灯の扱いに慣れているだけでも勝てない。プロレス頭脳とセンスが試されることになる。

 彰人はこの試合形式を「5戦4勝1敗」と得意とし、葛西純に敗れたものの、宮本裕向、木高イサミ、関根龍一、朱崇花と名だたる選手を退けている。自ら「自分の代名詞」と胸を張る。

 しかも今回はジャネラという海外選手とのバトル。「これまでとは全く違った戦略を仕掛けてくるかもしれない。自分自身も楽しみで仕方ない」と破顔一笑。蛍光灯1本をどう操るのか? どう切り返すのか? どんな攻防になるのか? 頭だけでなく全身のセンサーをフル稼働させるという。そして「このルールは自分の土俵だから」とニンマリ。

 DDTがサイバーエージェントのグループ入りし、ノアと経営統合した2020年9月、高木三四郎大社長に株式会社CyberFightの副社長に指名された。当時33歳にしての大抜てきだった。

 彰人本人もびっくりの人事だったが「ノーと言わないことを心掛けていたし、疑問があれば、はっきりと口にしていたからだったのかな」と振り返る。ポートレート文化をDDTに持ち込んだこともあったのかもしれない。

 EXTREMEのタイトルマッチは王者がルールを指定できるが、そのアイデアをスマホのネタ帳にメモしていて、すでに18本蓄積されている。とにかくアイデアマンである。

 加えて子供のころから、自分を貫く強さがあった。徒歩40分かけて通学していた中学校のとき「危険な通学路でもないのに、自転車通学を認めてもらえなかった。いいことではないけど、抗議の気持ちもあって、あえて遅刻していた」と笑う。

 高校進学の際には、運動部経験もないのに「プロレス好きだったので、レスリング部の強い学校を全国から選んだ」とキッパリ。当時、日本一の強豪だった茨城県霞ケ浦高校に愛知県名古屋市から進んだ。「自分以外は中学レスリングの猛者ばかり。学内での競争が激しかったが、3年間で一度だけ出場した公式戦で全国2位になれた」とにっこり。何事もあえて過酷な道に挑戦してきた。

 大学は地元・名古屋に戻り心理学を専攻したが、対戦相手の胸の内を読み取る上でも、試合中の自分の心をコントロールすることでも「役立っている」という。

「仕事が趣味」とプロレスラーとして、副社長として忙しい日々を送る彰人は、そのファイトだけでなく人間としても魅力たっぷりの男だった。

※木高イサミの「高」ははしごだか

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