稲川淳二、お化けの作品でパラアーティストを応援「もっと世の中に才能を発信したい」

6日に新型コロナウイルスに感染したことを報告した怪談家の稲川淳二。SNSでは彼を励まそうと全国の“マブダチ”と呼ばれるファンからたくさんの応援メッセージが届けられた。そんな温かいファンへの思いも語ってくれた稲川のインタビューを紹介しよう。

稲川淳二【写真:山口比佐夫】
稲川淳二【写真:山口比佐夫】

作品を見ていると次男が側にいる気持ちになる

 6日に新型コロナウイルスに感染したことを報告した怪談家の稲川淳二。SNSでは彼を励まそうと全国の“マブダチ”と呼ばれるファンからたくさんの応援メッセージが届けられた。そんな温かいファンへの思いも語ってくれた稲川のインタビューを紹介しよう。

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 今年で2年目を迎えるパラアーティストの育成プロジェクト「稲川芸術祭」。エグゼクティブ・プロデューサーの稲川が全国から個性的なアート作品を募集し、パラアーティストの作品を日本、そして世界に発信していこうという試みだ。昨年の第1回は全国から285点もの作品が集まり、岐阜県在住の男性が描いた「ゆかいな百鬼夜行」が最優秀作品に選ばれ、「稲川賞award2021」の称号が与えられた。

 これまで怪談家としてではなく、個人として長年障がい者の支援活動を行ってきた稲川が、今回なぜ表舞台でパラアーティストを応援しようと決意したのか? その理由について語ってもらった。(取材・文=福嶋剛)

 長年私の「怪談ナイト」を支えてくれているスタッフがいましてね。世の中には障がいの有無に関わらず素晴らしい才能を持った人がたくさんいるから彼らが描いた絵やアート作品を多くの人に見てもらえるような活動をはじめたいって言うんですよ。それで「稲川さん、いっしょにできませんか?」と相談を受けたんです。

 初めはちょっとしたお手伝い程度で考えていたんだけれど、「この絵を見てください」って彼らの作品を見せてくれたんです。どれも素直だし、伸び伸びとしていて自由だし、みんな1人1人その人にしかない才能や個性を持っているんです。口で筆をくわえて描こうが、足の指にはさんで描こうが、そんなことはどうでもいいんですよ。作品そのものに描かれている才能をもっと世の中に発信できるようなきっかけを作ってあげたいと思ったんです。それが「稲川芸術祭」のはじまりです。

 私の次男も障がいがあって9年前に26歳で亡くなりました。次男が入院していた時、よく病院に会いに行きましてね。ある時、息子が工作を私にくれたんですよ。今でも大事に取ってあるんですが、たまにそれを見るといつも泣いちゃうんですよ。だからみなさんから送られてきた作品を見るとすごくうれしくなるんです。今でも息子が私の側にいてくれているようなそんな気持ちにさせてくれるんです。

 私は次男に何もできなかった。女房は自分のせいだと思って背負ってしまい、その感情をぶつけるのは私しかいなかったんです。世間を笑わせて大爆笑で家に帰ってきても、死にそうな思いをしてリアクションとっても、今日は大変だったなって疲れ果てて帰ってきても家の中は違ったんです。夫婦で面倒を見てあげられたらよかったんだけど私はそれができなかったんです。

 昔とある講演会に呼ばれたことがありましてね。その代表の方が私の顔を見て「今日は皆さんを笑わせてあげてください」と言ったんです。それを聞いて「あれ? 最初に相談を受けた話と違うぞ」と心の中で思ったんですね。

 客席を見るとかなり重度の障がいを抱えた方とそのご家族ばかりでした。地元だけじゃなくて近隣の県から集まってくださって。ここまで来るのは大変だったでしょうと。私も次男のことありましたし、会場まで足を運んでくださったご家族の思いというのは表情を見ただけで伝わってきたんですね。

 そこで講演会に来てくださったみなさんにできるだけ寄り添うような言葉を使いながら私の経験やこれまで私が抱えてきたこと、「どれだけ大変だったか。でも私は後悔しないように次男と向き合いながら生きてきたんです」というそんな思いをすべてみなさんにお伝えしたんです。

 自分の家族ですから一緒にいるだけでどれだけ幸せなことかよく分かりますし、同じぐらい毎日が本当に大変で苦しいこともいっぱいある。そんな話をして舞台を降りたらその代表の方が私にひと言「重たい話でしたねえ」って。がっかりした表情だったんです。

 もしかしたらその代表の人は障がい者やそのご家族のために何か笑顔になれるような癒やしを与えてほしいと思っていたのかもしれませんね。でも私はそうは思わなかった。

 みんな必死になって生きている子どもたちがいる。そして「自分が明日死んだらこの子はどうなるんだ」って心配しながら生きているご家族。「自分に非はなかったのか」と心のどこかで自分を責めてしまう母親は何度も何度もその思いがよみがえってくる。そんなご家族の気持ちを考えたら、どうやって私が意味もない笑い話をここに来ているみなさんにできるのかと。そう思ってしまったんですね。それぞれが抱えている思いは違いますけど、誰かの気持ちに寄り添うことってやっぱり綺麗ごとじゃなくて本当に難しいんです。

今年もたくさんのパラアートに出会いたい

「怪談ナイト」は障がい者のみなさんにも楽しんでいただけるようにどの会場でも観覧エリアを確保しているんですが、来場者のみなさんに感謝していることがありましてね。どうしても本番中に声が漏れてしまったりすることがあるんです。でも開演中に声が漏れてもちゃんとそれを理解してくださる人ばかりなんです。むしろ車椅子で来られた方に係員よりも先にお客さんが積極的に案内してくれるんですよ。こういう1つ1つのお客さんの気持ちが客席から舞台に伝わってくるのが「怪談ナイト」なんです。私はそんな温かい気持ちを持った全国のみなさんと巡り会えたことが一番の宝物です。本当に感謝しかありません。

 昔、山城新伍さんに「仕事は遊んじゃいけないけど遊びが仕事になったらいいね」って言われたんです。私も今は遊びが仕事になっていますけど、楽しく描いた絵が仕事になれば、これ以上幸せなことはないですよね。ですから「稲川芸術祭」でそんな人がこれからどんどんと生まれてきてほしいなって思っています。

 昨年の「稲川賞award2021」を獲得した岐阜県の方には、うちのスタッフが直接グリーンのちゃんちゃんこを届けにいきましてね。喜んでいただけたようで私もうれしいですよ。そんなみなさんの作品を新宿高島屋に期間限定で展示していただけるそうなんです。ここのスタッフは、ほかにもクラウドファンディングだとか受賞者の作品をなにか形にしたいと思っていろいろ知恵を振り絞っているみたいなんでよかったらホームページを覗いてやってください。今年もまたたくさんの作品に出会えるのが待ち遠しいですね。

□稲川淳二(いながわ・じゅんじ)1947年8月21日、東京都渋谷区恵比寿生まれ。桑沢デザイン研究所を経て工業デザイナーとして活動し、過去には専門学校や短期大学にて立体構造の講師として教べんをとる。96年度には、個人でデザインを手がけた「車どめ」が、当時の通産省選定のグッドデザイン賞を受賞。元祖リアクション芸人と怖い話で茶の間をにぎわせていたが、45歳の年に怪談ライブを始め、その反響の大きさに感銘を受け、55歳の時に残りの人生を怪談家として没頭することを決意。2012年、「MYSTERY NIGHT TOUR 稲川淳二の怪談ナイト」の20年連続公演の偉業が認められ、8月13日が「怪談の日」として制定された。また、 昨今は怪談家としての活動のみならず、障がいのある子の親の見地からバリアフリーや人権がテーマの講演会にも精力的に参加する。8月9日から14日まで東京・新宿高島屋2階JR口特設会場で「稲川芸術祭」おばけアートパネル展を開催。入場無料。

次のページへ (2/2) 【動画】2021年の「怪談ナイト」ダイジェスト映像と「稲川芸術祭」会見動画
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