“怪物君”熊川哲也、50歳もバレエのスターに君臨「私を超えられるダンサーはまだいない」

熊川哲也が代表取締役社長・芸術監督を務める株式会社K-BALLET(以下、Kバレエ)が株式会社TBSホールディングスと資本業務提携契約を締結し、19日には記者会見で正式発表した。熊川は1993年に東洋人として初めて英国のロイヤル・バレエ団でプリンシパルになり、退団翌年の99年にKバレエカンパニーを設立。TBSは旗揚げ前からパートナーとして公演を主催・興行してきたが、今後は共に海外公演事業とスクール事業の多拠点展開を目指す。この機にENCOUNTは熊川にインタビュー。熊川は、新たなスターダンサーを育てる夢を語る一方で、「まだ怪物君(熊川)を超えられるダンサーはいない」と言い切った。

率直な感想を語る熊川哲也【写真:荒川祐史】
率直な感想を語る熊川哲也【写真:荒川祐史】

Kバレエ、TBSと資本提携を発表「自分の子供…一抹の寂しさ」

 熊川哲也が代表取締役社長・芸術監督を務める株式会社K-BALLET(以下、Kバレエ)が株式会社TBSホールディングスと資本業務提携契約を締結し、19日には記者会見で正式発表した。熊川は1993年に東洋人として初めて英国のロイヤル・バレエ団でプリンシパルになり、退団翌年の99年にKバレエカンパニーを設立。TBSは旗揚げ前からパートナーとして公演を主催・興行してきたが、今後は共に海外公演事業とスクール事業の多拠点展開を目指す。この機にENCOUNTは熊川にインタビュー。熊川は、新たなスターダンサーを育てる夢を語る一方で、「まだ怪物君(熊川)を超えられるダンサーはいない」と言い切った。(取材・構成=柳田通斉)

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――日本の大手メディアと芸術団体が資本提携することは初めてのことです。Kバレエの発行済株式32.1%をTBSが取得し、KバレエはTBSの関連会社の位置付けになりました。率直な感想は。

「発表の1か月前から、一抹の寂しさもありました。創立からどこの資本も入らずにやってきましたから、『ああ、そっか~』と。Kバレエは自分の子どもみたいな存在ですし、成長過程で『ニューフェイズ(段階)に行くんだな』と思い、ちょっとしんみりしました」

――経営体制は今まで通りの「増資」ですし、より力強くなるイメージもありますが。

「そうですね。(資本提携の)一番のメインファクターは知的財産のプロテクトです。50年後、100年後に向けて、子どもたちを守る、作品を守るためには大企業と一緒に歩んでいくことが一番いいということが、僕の決断です。ただ、教育ビジネスは丁寧、正直にやっていかないといけませんし、自分たちに正義がないと全部ダメになる。そこは変わらず、ゆっくりやりたいです」

――TBSとの付き合いは1999年にKバレエを設立する前からですね。

「そうです。(初のセルフプロデュース公演)『メイド・イン・ロンドン』からで、長く付き合っていただいています。最初の頃は、僕のおじいちゃん世代の方が社長でしたが、今は同世代の方が局長だったりします。その間、いろんな人事を見てきました(笑)が、社長が代わっても、Kバレエを大事にしてくれるイズムは継承されてきました」

10歳でバレエと出会った【写真:荒川祐史】
10歳でバレエと出会った【写真:荒川祐史】

10歳でバレエと出会い…野球、剣道を捨てて5年で世界へ

――熊川さんは10歳からバレエに取り組まれていますが、先にいとこの方(男子)が始めていたことで、おじいさまが自宅隣の花畑にバレエのレッスン場を作られたそうですね。

「そうですね。当時は男子がバレエを習うことなんて考えられず、タイツが平気で馬鹿にされた時代でした。そんな中で、いとこが先にやっていてくれたので、僕は入りやすかったです」

――野球、剣道もされていたそうですが、バレエだけを続けた理由は。

「運命的なものを感じます。バレエにはロールプレイングゲームを解読していく感じで、経験値とともに技が増えていく、武器が増えていく感覚がありました。サッカーや野球は見てマネていると意外にできたのに、バレエはそうはいかなかった。逆にそれが楽しかった記憶があります」

――そうしたことを1つ1つ重ね、5年後の15歳で、英国のロイヤル・バレエ学校に入団されていますが。

「そうなんです。いい巡り合わせでバレエを始め、ライフワークになるっていうのは、とても幸せなことです」

――会見では、Kバレエスクールの敷居を高くしないことを話されていました。来春に新ブランド1号のスタジオを東京・白金に開校予定だそうですが。

「プロを目指すだけがバレエ教育ではありません。特に『熊川さんがやられている』となると、お母さんが頑張り過ぎて、子どもがついてこないこともあります。そうならないためにも、カジュアルな教室も開きます」

――会見では、バレエが教育に役立つことも強調されていました。

「バレエは見る側の主観で評価が決まるので、自分が人より劣っていることを納得するまでには、いろんなことを消化しないといけない。ただ、そうした経験が成長と強さにつながると僕は思っています。現実に努力したけど、『ダメだった』ということもあります。しかし、腐るのではなく、それらをプラスに転換できるように育てていく。喜怒哀楽を表現できることも大事ですし、大いにやらせてあげたい。さらに言うと、バレエは生まれ持った体型で決まってしまうところがあります。実際、Kバレエスクールの本校では、入会時に体型を理由にお断りすることがあります。場を提供した場合でも、『早いうちに違う世界に行った方がいい』と伝えたりもします」

――子どもたちへの教育の一方で、大人の女性向けスクール(バレエゲート)の会員も約3000人。

「大人女性の習いごとで、バレエの人気はかなり高いです。心身ともに健康になれますし、ヒラヒラの衣装を着て、プリプリのメイクをして、発表会の舞台に立つこともできます。まさにドリームの世界です。幼少期に経験のあるカンバックダンサーもいれば、80代の初心者もいらっしゃいます。皆さん、生き生きとされています」

――熊川さんは、99年にKバレエを創立して経営も担ってこられました。ロイヤル・バレエ団のスターダンサーで、退団後の1年後に会社創立。最初は大変だったのでは。

「振り返っても無謀なことでした。人を使ったこともないし、創設時はオフィスに私を含めて3人。ただ、当時の日本バレエ界は習いごとの延長にある感じだったので、自分の手で真のプロ集団を作りたいと思いました。だからこそ、国から助成金はもらわず、株式会社にこだわりました。経営はTBSさんを見よう見まねだったり、先輩に聞いて勉強しました」

夢を語った熊川哲也(左)【写真:ENCOUNT編集部】
夢を語った熊川哲也(左)【写真:ENCOUNT編集部】

創設時は3人だった会社、早大、ICU卒の高学歴社員も続々と

――並行して自身のパフォーマンスを維持し、作品の構成、演出、振付、新作を手掛けられています。

「当初はバレエ団の活動、公演がメインでした。それらがインカムになり、人件費、ダンサーへの支払い、事務的な費用などから余った分を僕が給料としもらう形でした。そこからスクールが広がり、比例して社員も増えました。今では、早稲田、ICU卒などの高学歴で、メガバンクや一流企業からの転職組も多くなりました。こうして組織が大きくなっていくと、逆に僕のやることは減り、パフォーマーや芸術監督としての仕事に戻れています」

――一般的に50歳は体力の衰えを感じる年代ですが。

「僕の感覚だと、50代はまだ大丈夫です。ただ、ボーッと夕日を見続けてしまう自分がいるんです。昔は、『そんな時間があったら、他のことも』というタイプだったのに。父は今、76歳で両手を後ろで組んで庭を歩き、10分ぐらい止まって、また歩いたりしていますが、自分も同じようなことをしています(笑)」

――熊川さんと言えば、体を鍛え、節制され、高く滞空力のあるジャンプが印象的です。バレエファン以外にもインパクトを残してきたパフォーマンスの1つですが、今後、披露されることは。

「もう、跳ばないですよ(笑)。トレーニングを継続すればできますが、もうバリバリの主役ではないですし、『お許しくださいよ』ということで。まあ、プチストイックではいたいですが」

――「クレオパトラ」(10月26~30日、東京・Bunkamuraオーチャードホールなど)では、3年半ぶりに舞台に立たれます。ジュリアス・シーザーの役ですが、今後の作品も出演されますか。

「メインはないですが、役が合えば脇役をやろうかと。僕が出れば拍手喝采にはなるでしょうが、それだけだと虚しいので、(ダンサーとして)結果を出してから拍手をもらいたいですよね」

――今後、熊川さん自身の夢は。

「アジアを中心とした海外事業を展開するなどのビジネスを広げていくこともありますが、やっぱり、スターを作りたいです」

――以前、「熊川哲也が5人いれば、売り上げが5倍になる」と話されていますが。

「そりゃそうですよ(笑)。ただ、バレエ界ってなかなかスターが生まれないんです。技術的に素晴らしいダンサーはたくさんいますが、『じゃあ、チケットを売れるダンサーは誰なの?』という話になります。スターに必要なのは、人々を身震いさせる、癖にさせるカンフルとカリスマ性ですから」

――ということは、熊川さんを超える可能性があるダンサーは、まだ見当たらないと。

「興行的に怪物君(熊川)を超えられるダンサーがいるかと言ったら、いないですね。もし、そんなダンサーが出てきたらすごいと思いますし、興行主が違っても、僕は両手を挙げて応援します」

――最後にうかがいます。かつて熊川さんは、TBSドラマ「GOOD LUCK!」に出演されています。資本提携を機に、ドラマ再出演の可能性は。

「確かにちょっとだけ出ましたが、もう、ないですよ~。まあ、やるとなったら、器用にいい感じでやれるとは思いますけど(笑)」

□熊川哲也(くまかわ・てつや)1972年(昭47)3月5日、北海道・旭川市生まれ。10歳から札幌市の久富淑子バレエ研究所でバレエを習い始め、高1の87年に英国ロイヤル・バレエ学校に入学。89年には東洋人として初めてロイヤル・バレエ団に入団し、同団史上最年少ソリスト(ソロで踊れる主要ダンサー)に昇進。91年にファースト・ソリスト、93年にプリンシパル(最高位のダンサー)に昇格し、数々の名演を残すも98年に惜しまれながら退団。帰国後、Kバレエカンパニーを創立。ダンサーとして出演しながら、芸術監督としてプロデュース、演出、振付などを手掛ける。2007年には公演中に負傷。「前十字靭帯損傷」と診断されるが、翌年に復帰を果たした。その後も国内外で活動を続けながら、後進の育成にあたっている。

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