たった1人で暴走族狩りに… 大阪“孤高の喧嘩師”が語る「伝説」の真相

思春期になると道を外したり、やんちゃしてしまうのはどの時代にもあること。しかし、この男は異色の存在として恐れられた。ターゲットはなんと暴走族。夜な夜な、ボロボロの原付に乗って集団を追いかけ回し、暴走族はその姿を見るだけで逃げ出したという。数々の破天荒エピソードと腕っぷしが語り継がれ、やがて故安倍晋三元首相の護衛役も担当した。ナイフを持った強盗を捕まえたり、火の海に突入して生存者を救出したことも。現在は天満警察署と大阪市の要請で、北新地のパトロールも行うなど、奉仕活動に従事している。「群れるのが嫌いだった」という孤高の喧嘩師・アンディ南野に、「伝説」の真相を聞いた。全4回のうち1回目。

あべのハルカスをバックにポーズを決めるアンディ南野【写真:ENCOUNT編集部】
あべのハルカスをバックにポーズを決めるアンディ南野【写真:ENCOUNT編集部】

治安の悪い街に生まれ…「けんかで華々しく散って死のう」

 思春期になると道を外したり、やんちゃしてしまうのはどの時代にもあること。しかし、この男は異色の存在として恐れられた。ターゲットはなんと暴走族。夜な夜な、ボロボロの原付に乗って集団を追いかけ回し、暴走族はその姿を見るだけで逃げ出したという。数々の破天荒エピソードと腕っぷしが語り継がれ、やがて故安倍晋三元首相の護衛役も担当した。ナイフを持った強盗を捕まえたり、火の海に突入して生存者を救出したことも。現在は天満警察署と大阪市の要請で、北新地のパトロールも行うなど、奉仕活動に従事している。「群れるのが嫌いだった」という孤高の喧嘩師・アンディ南野に、「伝説」の真相を聞いた。全4回のうち1回目。(取材・構成=水沼一夫)

 僕はずっと小学校の頃からど突き合いで世界一強くなりたかったんですよ。中学校の頃も、高校の頃もそれしか考えていなかった。とにかくど突き合いしたくて、地元の暴走族を1人でど突きにいったり、暴力団を引きずり回したりしていました。僕は40を超えると、人として馬力も落ちるから弱くなるなと思っていた。でも、ど突き合いで誰にも負けへんようになろうと思ったら、40までには何か形になる。だからけんかで華々しく散って死のうと思い、40を超えて生きることを考えていなかったんですよ。「40までには死ななあかん」と思っていました。

 昔、小学校1年のときに入学式があって、ちょっとしたときに1個上の近所のお兄ちゃんを泣かしたんですよ。そのとき家に帰って、親に聞かれたんですよ。今でも覚えていますけど、「何かあったんか?」「いや、けんかして」「弱い者いじめしたんか?」「いや、1個上やから…」というような会話でした。1個上のガキ大将だったから、泣かしても怒られなかったんですよ。「弱いものいじめはするなよ。けんかはしゃあないけど」と言われて、そうか、けんかしても怒られへんねんなと思って、そこからですね。

 地元は大阪府大東市です。これは大人になって分かったんですけど、治安が悪かったんですよ。当時はひったくりや青少年の犯罪率が高い地域で、学力も低かった。学校ではあんまりけんかしなかったですけど、隣の学校のやつとかは、目が合ったらど突いていましたね。何なんでしょうね。パンチ力でしか自己表現できないっていうのもあったかもしれないです。

 僕は友達いなかったんですよ。暴走族は実は嫌いじゃなかったんですけど、向こうは友達が多いですよね。だから、やきもちですよ。ほんで群れて強いと思うなよって自分の中でちょっと感情の入れ替えというか、1人でも全然負けへんわっていうのが反骨心に変わってしまったんでしょうね。

 ホンマは仲間に入りたいし、仲良くしたいけど、僕は協調性が全くなかった。今もあんまりですけど「群れて、いい気になりやがって」というのと、「楽しそうやな、こいつは腹立つわ」という気落ちがありましたね。

 けんかはいつも1人でした。マウンテンバイクかボロボロの原付で、暴走族を追いかけ回します。追いかけて、近づいて、何か言ってきたら引きずり回す。その繰り返しでした。一対一やったら、弱い者いじめになってしまう。でも、10人、15人おったら僕の正統防衛になるかなと思って、いつも人数を相手にしていました。

拳にできたけんかダコ【写真:ENCOUNT編集部】
拳にできたけんかダコ【写真:ENCOUNT編集部】

暴走族を“狩る”方法とは 語り継がれる大東アンディ伝説

 暴走族はよくコンビニの前にたむろします。僕は駐車場や看板の裏に隠れて、入ってきたら逃さない。でも、だんだんと手口がばれるから、後半はみんなが交差点にバーって来て、キョロキョロ見回しているときに、電信柱から交差点の真ん中に飛び込んだり、ぶら下がっていた信号機から飛び降りて、全員しばいてましたね。だから、みんな逃げるようになりましたね。彼らは僕の姿を見ると、方向を変えてUターンして、集会を解散するようになった。しばかれるのも嫌やし、梅田やミナミに走りに行くのに、ボロボロの原付でついてくるから仲間と思われたくなかったみたいです。

 先日、その時代の後輩と飯を食っていたら、「いやアンディくん、もう昔は無茶苦茶やったっすよね」と言われましたけど、そういう街やったんですよ。でも、その大東市という土地でも、僕みたいな生き方をしていたのは僕だけやったから、どこにおってもこうやったかもしれない。

 今思えば、民間の私服警察官というか、民間セキュリティーみたいな感じじゃないですか。15、16、17とかそんなふうに過ごしました。高校には6年、行きましたね。留年を1年のとき2回、2年のとき3回やって、それで中退して、別の通信制高校に1年行って卒業しました。

 留年した理由ですか。中3の時に、下から10番以内の学力しかなくて、進路の選択肢が不良高校か進学校しかなかったんですよ。進学校に行くには、5教科で400点ぐらい取らなあかんかった。一方で、不良高校は、名前を書いたら通ると言われていました。僕はヤンキー高校はかっこ悪いなと思って、中3の1年間だけ塾に行って、めっちゃ勉強を頑張ったんですよ。席替えもせんと、「教卓の前にして」と先生に頼んで1年間勉強したら、5教科で400点取れるようになったんですよ。

 それで進学校に入れたんですよ。高校生になったら、デンジャラスな毎日が待っていると思ったら、進学校に行ってるから、みんな真面目な子しかいてないんですよ。学校に行ってもおもんないし、授業中抜けしたり、あちこちフラフラ行ったり遅刻して授業も行かへんようにしていたら、進学校だから学力が追いつかない。ほんで留年しまくったんすよ。悪さしていたわけじゃないです。ドラマ「ナンバMG5」に似ている? もうちょっと僕の高校生活はドロドロしていましたね。

□アンディ南野(あんでぃ・みなみの)1979年2月10日、大阪・大東市出身。若い頃からけんかに明け暮れる。28歳のとき、格闘技デビュー。地下格闘技「喧王」で2度優勝。2019年の選挙では腕っぷしを買われて故安倍晋三元首相の警護を務めた。毎週木曜、金曜には天満警察署と大阪市の要請で、北新地のパトロールを行い、違反者を摘発している。8月28日「PEACE」(大阪・176BOX)で、元迷惑系YouTuber・へずまりゅうと激突する。格闘技ジム「T.B.NATION」代表。172センチ、80キロ。

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