竹中平蔵氏、“嫌われる理由”を激白 「ずっと言われ続けてそうなった」達観の境地

経済学者で慶応大名誉教授の竹中平蔵氏(71)が、「2ちゃんねる」開設者で実業家の西村博之(ひろゆき)氏(45)との対談で注目を浴びている。YouTube討論番組「Re:Hack」での議論で“けんか”状態になりながらも、日本をよくするための政策案で一致。このほど、対談本「ひろゆきと考える 竹中平蔵はなぜ嫌われるのか?」(集英社)が緊急出版に至った。参院議員を務めた元政治家でもあり、日本社会への提言を発信し続ける竹中氏に、“嫌われる理由”と、誹謗(ひぼう)中傷に対する考えについて直撃した。

竹中平蔵氏の原点は父親の姿と高校時代にあるという【写真:ENCOUNT編集部】
竹中平蔵氏の原点は父親の姿と高校時代にあるという【写真:ENCOUNT編集部】

人生観の原点も明かす ひろゆき氏との討論が話題に

 経済学者で慶応大名誉教授の竹中平蔵氏(71)が、「2ちゃんねる」開設者で実業家の西村博之(ひろゆき)氏(45)との対談で注目を浴びている。YouTube討論番組「Re:Hack」での議論で“けんか”状態になりながらも、日本をよくするための政策案で一致。このほど、対談本「ひろゆきと考える 竹中平蔵はなぜ嫌われるのか?」(集英社)が緊急出版に至った。参院議員を務めた元政治家でもあり、日本社会への提言を発信し続ける竹中氏に、“嫌われる理由”と、誹謗(ひぼう)中傷に対する考えについて直撃した。(取材・文=吉原知也)

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 今回の対談本のタイトルはまさに直球。自身が世間から持たれるイメージについて、どう捉えているのか。

「最初は、私はどう考えても良いことをやっているのに、世の中はなんて理不尽なんだと思いました。私に対する批判の理由はよく分からないものばかり。私は政策の議論をしているのだから、ここがこう間違ってるということを指摘すればいいのに、全然違うところで言われて。今回、この本のタイトルを見た時、周りの人は『失礼なタイトルだ』という反応でしたが、私はいいじゃないかと言ったんです。私を批判する人がいればいるほど、講演会で私の話を聞きたいと思う人が増えるんですよ。これは何にでも言えることです。郵政民営化に反対する人がいればいるほど、人々から注目されました。もちろんずっと悪く言われない人もいるわけですよね。でもそういう人って、意外と影響力がないんですよ(笑)」

 2001年、構造改革を訴えた小泉純一郎内閣の発足から経済財政担当大臣や郵政民営化担当大臣などを歴任。約5年半、政府の経済政策を指揮した。

「そういう役割をなぜ自分が引き受けたのかというのは、今でもよく分かりませんけれども、私とよく議論する人とよく話すのは、『竹中さんだけなぜこんなに言われるんだろうね』ということです。なぜだか、そういうアイコンになっちゃったんです。そう考えると、小泉総理の言葉を思い出します。『悪名は無名に勝る』。すごく批判する人がいるのはよく知ってますけれども、すごく評価してくる人もたくさんいてくれます。世の中はそういうもので、それはある種の影響力の代理変数みたいなものかなと。だから、もう放っておいたらいいと思っています」

 一般的に言われるのは、総合人材サービス「株式会社パソナグループ」に携わっていること、労働市場の規制緩和、格差拡大についてだ。“張本人”とされている。

「それはもう何回も何回も、100回以上説明していますけれども、これはもうみんな聞きたくない説明なんでしょうね。労働市場の改革は90年代からずっとやっているわけで、なおかつ、小泉内閣の時に1回やっていますけれども、それは製造業の派遣解禁でした。私は担当大臣じゃない。あれは厚生労働大臣の仕事ですから。私の仕事とは関係ないわけですよ。その時にたまたま内閣にいただけの話です。それでパソナがもうけたと言われますが、これは誹謗中傷ですけれども、パソナは製造業の派遣をそもそもやっていないんです。

 それと、格差についてはOECD(経済協力開発機構)の報告書にも経済財政白書にも全部書いてるんだけど、あの時はジニ係数から見ると、格差は縮小しているんですよ」

対談本「ひろゆきと考える 竹中平蔵はなぜ嫌われるのか?」(集英社)の書影
対談本「ひろゆきと考える 竹中平蔵はなぜ嫌われるのか?」(集英社)の書影

「一生懸命に働く人がなんでもっと豊かになれないんだろうかと思っていました」

 それでは実際に、誹謗中傷被害を受けた経験はあるのか。

「金融担当大臣をやっていた時は、実際に『殺す』といった内容の手紙が送られてきたことがあるので、警護官を2倍に増やしてもらったことはありました。大臣を辞めてからも、年に何回かはきますよ。『殺してやる』といった紙が。その時は地元の警察には知らせています」

 一般論として、相手の行動や主張に対する評価の範囲内として理解される「批判」と、「誹謗中傷」とは区別される。そのうえで、自身に向けられる「批判」をどう考えるのか。

「私に対してはちゃんとした批判というものがないです。悪口を言いたいから、何でもいいからうそでもいいからくっつけろという具合です。私が思うに、そう言っている本人は、これはうそだと分かっているはずなんです。こいつが嫌いだからなんか面白くないから、そういった理由で、何でもいいから批判してやろう。そう思っているのではないでしょうか。でも、うそをつくならもっと面白いセンスでもってうそをつけよと。私はそう思っていますよ」

 ある種の達観とも言えるが、自己分析について聞いてみた。

「ずっと言われ続けて、そうなったのかもしれません。誹謗中傷に慣れちゃったということですかね。政治家の経験も踏まえて、みんなによく思われることは無理だと実感しました。結局、私は他人によく思われるために生きているわけではないんです。自分がやりたいこと、正しいと思うことをやっているわけだから。私が思うに、世の中はそういうものなんだと。ちょっと目立つと、とにかく批判したい人がいっぱい出てきます。そう割り切っていくしかないと思っています」

 その心の強さはどこにあるのか。人生観の原点は、父親と高校時代にあるという。

「何かを鍛えたとか、そんなに難しいことはありません。私が高校(和歌山県立桐蔭高校)の時に、東京から地方都市の和歌山に帰ってきたばかりの若い倫理社会の先生がいました。県立の進学校ですが、それでも当時は進学しようと思っても家庭の経済事情で大学に行けない子はやっぱりいたわけです。それに私は商店街出身の子だから、自分が大学に行けるかどうかも分かりませんでした。それで大学ってどんなところだろうと、その先生に聞きに行ったんです。当時はまだ、先生が学校に泊まり込む宿直制度があって、その宿直日に何回も行きましたよ。その時に先生に言われたのは、『大学に行ける人は、大学に行けない人の分まで勉強してこい』ということでした。本当に立派な先生だったと思います。

 それと同時に、履物の小売業を営んでいた父親が、朝早くから夜遅くまで店を開けて頑張っている。そんな姿をずっと見て育ちました。一生懸命に働く人がなんでもっと豊かになれないんだろうかと思っていました。それが私の原点なんです」

□竹中平蔵(たけなか・へいぞう)、1951年、和歌山市生まれ。一橋大経済学部卒業後、73年に日本開発銀行入行。81年に退職後、大蔵省財政金融研究室主任研究官、ハーバード大客員准教授などを経て、2001年から小泉内閣で、経済財政担当大臣や金融担当大臣、郵政民営化担当大臣などを歴任。現在、世界経済フォーラム(ダボス会議)理事を務める。博士(経済学)。

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