誹謗中傷を乗り越えて 瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさんが明かす教えとは

昨年11月に99歳で亡くなった作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの秘書を務めた瀬尾まなほさん。今年1月には、瀬戸内さんとの日々をつづった著書「寂聴さんに教わったこと」(講談社)を出版するなど、現在もさまざまなメディアで瀬戸内さんの素顔や著書の魅力を発信し続けている。そんな瀬尾さんに、著書を出版した経緯や、瀬戸内さんとの思い出を振り返ってもらった。

瀬戸内寂聴さん(右)の秘書を務めた瀬尾まなほさん【写真提供:瀬尾まなほ】
瀬戸内寂聴さん(右)の秘書を務めた瀬尾まなほさん【写真提供:瀬尾まなほ】

22年1月に「寂聴さんに教わったこと」を出版するなど執筆活動も行う

 昨年11月に99歳で亡くなった作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの秘書を務めた瀬尾まなほさん。今年1月には、瀬戸内さんとの日々をつづった著書「寂聴さんに教わったこと」(講談社)を出版するなど、現在もさまざまなメディアで瀬戸内さんの素顔や著書の魅力を発信し続けている。そんな瀬尾さんに、著書を出版した経緯や、瀬戸内さんとの思い出を振り返ってもらった。(取材・文=猪俣創平)

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 瀬尾さんは、2013年から瀬戸内さんの秘書を務め、エッセー集「おちゃめに100歳!寂聴さん」(光文社)を出版するなど執筆活動も行っている。しかし、もともと書くことを目指して寂庵に就職したわけでも、文学少女でもなかった。そんな瀬尾さんが執筆活動を始めたきっかけは、瀬戸内さんへの手紙だった。

「何かあるごとに瀬戸内に手紙を書いていたんです。それで、瀬戸内が編集者の人に『この子、いい手紙書くんだよ』って褒めてくれていたんですよね」

 瀬戸内さんは褒めるだけでなく、その手紙をさらに活用した。「当時、文芸誌「群像」で『死に支度』(現在、講談社文庫)という連載をしていたんですが、その物語は瀬戸内自身が主人公で、私が『モナ』という名前で出てきます。その小説の中で、私があるとき瀬戸内に渡した手紙が使われていたんですね。それを瀬戸内が『これは、まなほからもらった手紙を使ったんだ』と言ってくれていたんです」。この小説を読んだある出版社から、本を書いてもらえないかと瀬尾さんにオファーが届き、出版へとつながった。

 本を出版するにあたって背中を押してくれたのも瀬戸内さんだった。

「本を書くことになったと瀬戸内に伝えたら、『よかったじゃない~!』と二人で飛び跳ねて喜びました。瀬戸内も私が書いたものをよく読んで笑って、楽しんでくれていました。私が本を出せたり、連載を持てたりしたことをすごく喜んでくれました。私も書いていくうちに、書き方が分かってきますし、瀬戸内も『文章がよくなっていくね』と言ってくれました。瀬戸内は、『小説家は無理かもしれないけれど、エッセイストになれるよ! 頑張れ』みたいに言うこともあったので、『いや、そんな無理ですよ~』と答えていたんですけど、そんなふうに私のことを推してくれていましたね。一番の応援者でした」

 22年1月に出版した「寂聴さんに教わったこと」は、17年より開始した共同通信社配信の連載「まなほの寂聴日記」を1冊にまとめたものだ。今回の出版のきっかけは、瀬戸内さんと瀬尾さんそれぞれの本を一緒に出すためだった。瀬戸内さんと瀬尾さんを担当する編集者も「2冊一緒に出した方が話題になる」と考え、それを聞いた瀬戸内さんも喜んで、22年1月に同時刊行することになったという。

 しかし、21年9月から瀬戸内さんが入退院を繰り返すようになった。入院中も、瀬戸内さんと瀬尾さんは2人の同時出版についてよく会話を交わしていた。

「瀬戸内は入院中もその出版をモチベーションにしていて、私も『先生、講談社から一緒に本が出ますし、先生が一緒に宣伝してくれないと私の本が売れないから、頑張って宣伝してください』と話していました。先生も『何でもするよ、テレビとかも出よう』と言ってくれていました。『来年は100歳になるから、絶対に先生の年になりますから、忙しくなるのでがんばりましょうね!』と話していましたし、本人もその気でいました。出版をめざして先生も前向きに頑張っていたところだったので、瀬戸内本人も死ぬなんて思っていなかったと思います」

瀬尾まなほさんの著書「寂聴さんに教わったこと」書影
瀬尾まなほさんの著書「寂聴さんに教わったこと」書影

執筆活動を通して伝えたい瀬戸内寂聴の魅力

 瀬尾さんの著書「寂聴さんに教わったこと」には、瀬戸内さんが亡くなったことを受けて急きょ、「あとがき」を書くことになった。亡くなって間もないタイミングのつらい状況でありながらも、瀬尾さんは「あとがき」に素直な気持ちを記した。そこには、瀬戸内寂聴さんが99歳の最後のときまで作家として書き続けたことと同時に、瀬戸内寂聴さんという人の素顔や温かさと愛を感じることのできる文面がつづられている。

 瀬尾さんが執筆活動をしていく中で、瀬尾さんに対する誹謗(ひぼう)中傷の声も届くようになった。「瀬戸内のおかげで、あれよあれよと私の本が売れて、ベストセラーと言っていただけるようになると、批判的な声も出てきました。私のような若い人が瀬戸内にツッコむのを面白く思わない人もいて、『秘書だったら表に出るんじゃない』とか、そういう批判も受けたんです」と、当時の苦しい胸の内を明かした。

 批判の声が届くようになったものの、瀬戸内さんは瀬尾さんを表舞台から降ろすようなことはしなかった。「瀬戸内はそういう人たちがいるのも想定していました。私がもう怖いから嫌だ、知らない人にいろいろ言われたり、いじわるもされるという話をしたら、『そんなのやっかみだし、その人たちがあんたを養ってくれるわけじゃないんだから、そんな人たちの言うことを聞く必要はない』と言ってくれたんですね」。

 その背景には、瀬戸内さん自身も若いころ、小説「花芯」で激しい批判を受け、約4年間も文学界から干された経験があったからだった。

「瀬戸内は『あんたへの批判なんか大したことない』と言って笑い飛ばしてくれました。そういう匿名で批判してくる人たちは、『ただ妬いてるの、あなたがうらやましいだけなの』、『チャンスの波はつかまなくちゃダメ』と言ってくれました。それを聞いて、なんで私は顔も見えない人の言うことにこんなに過敏に反応しているんだろうと。私のことをよく知っている人が、書いたものをすごく良いと言ってくれているのに、知らない人の批判に左右されることはないなと思えるようになりました」

 瀬戸内さんの言葉から、誹謗中傷の声を乗り越えることができた瀬尾さん。一方で、「これまで、瀬戸内がいるから頑張れたし、なにかあれば泣きつけた。瀬戸内がいるから私も自信をもって前に進めたので、今は心細いですね」と、瀬戸内さんを失った悲しみも吐露した。

 そんな瀬尾さんが本を出す一番の意図は、瀬戸内さんと若い世代をつなぐ“架け橋”になることだった。「私から見た瀬戸内寂聴は、すごく魅力的な人なので、みんなに知ってもらいたいなっていう思いがありました。そして、私の本を読んだ人たちから『寂聴さんの本を読んでみたい』『この本を読み始めました』という手紙が送られてきて、それができていると思いましたね」と、手応えをつかんでいる。

「瀬戸内はこれまで、女性が不平等と戦って、一人の人間としてちゃんと生きていく権利をつかみ取ってきた評伝を書いてきました。今私たちが自由に生きられる時代になったのは、こういう女性たちのおかげだと、瀬戸内の本を通じて知ることができます。だから、若い世代に瀬戸内の小説を読んでもらいたいっていう気持ちがすごくありました。もちろん、尼さんとしてもすごくいろんな活動をして素晴らしいですけれど、作家としての瀬戸内のすごさだったり、小説のおもしろさを知ってほしい思いがあります。瀬戸内のファンは、高齢の方が多いんですけど、いろんな世代の方々に知ってもらいたかったんです」

 瀬戸内さんの魅力を伝え続ける瀬尾さん。1年後や2年後といった先に具体的な活動の計画はないとしながらも、求められるかぎり応えていきたいと今後について語った。

「瀬戸内寂聴の秘書として、話す機会や書く機会をいただけるかぎり、今後も頑張らせていただきたいという気持ちはもちろんあります。横尾忠則さんからも、私が瀬戸内寂聴のいろんな思い出を話すことが瀬戸内さんへの供養になると言ってもらえたので、その役割を果たそうと思っています」

 瀬尾さんは、瀬戸内さんとの日々を胸に、作家としての魅力、人としての魅力を思い出とともに今後も伝え続けていく。

□瀬尾まなほ、1988年、兵庫県生まれ。京都外国語大学英米語学科卒。卒業と同時に寂庵に就職。2013年から瀬戸内寂聴の秘書を務める。2017年より共同通信社配信の連載「まなほの寂聴日記」を開始。著書に「寂聴さんに教わったこと」(講談社)、「おちゃめに100歳!寂聴さん」(光文社)などがある。

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