浅香唯が振り返る80年代の歌番組 ロバや柔道、リンボーダンスに「笑わないように歌い切った」

今月21日に「C-Girl」や「セシル」といった浅香唯の代表曲が一挙に「サブスク解禁」された。ドラマ「スケバン刑事III」(フジテレビ系、1986~87年)のヒットで一気にトップアイドルの仲間入りを果たし、主題歌「STAR」で念願の「ザ・ベストテン」(TBS系、78~89年)に出演。当時の着ていた衣装の一部は今でも宝物として家に飾ってある。そんな彼女にとって夢のような毎日だった80年代のテレビ出演時のエピソードを聞かせてもらった。

浅香唯【写真:荒川祐史】
浅香唯【写真:荒川祐史】

ミラーゲートの裏ってどうなっているの?

 今月21日に「C-Girl」や「セシル」といった浅香唯の代表曲が一挙に「サブスク解禁」された。ドラマ「スケバン刑事III」(フジテレビ系、1986~87年)のヒットで一気にトップアイドルの仲間入りを果たし、主題歌「STAR」で念願の「ザ・ベストテン」(TBS系、78~89年)に出演。当時の着ていた衣装の一部は今でも宝物として家に飾ってある。そんな彼女にとって夢のような毎日だった80年代のテレビ出演時のエピソードを聞かせてもらった。(取材・文=福嶋剛)

誰もがアッと驚く夢のタッグ…キャプテン翼とアノ人気ゲームのコラボが実現

――今回は「80年代のテレビ出演裏話」というテーマでお話をお聞きしたいと思います。まずは「ザ・ベストテン」について。歌番組の中ではもっとも印象深い思い出の1つだとお話をされていました。

「子どもの頃からずっと見ていた番組だったので、まさか自分が出られるなんて思ってもいなくて。初出場はめちゃくちゃ緊張しました」

――初登場は「スケバン刑事III」の主題歌「STAR」(87年)で9位でした。星型のゴンドラで上から降りてくるという粋な演出もありましたね。

「今までは1曲につき衣装は1種類だったんですけど、スケバン刑事が始まって、もしかしたら歌番組に呼ばれるかもしれないと何着か用意しました。すると放送1週間前を切って9位で出演が決まったというお知らせをいただいて」

――リハーサルから緊張していました?

「はい。でもベストテンのスタッフのみなさんはとっても優しくて、リハーサルで『赤いランプがついたカメラを見てください』と言われたんですが、緊張しすぎて分からなくなると、カメラさんがぬいぐるみを持って大きく振ってくださって緊張をほぐしてくれたんです。そんな中で子どもの頃からずっと疑問に思っていたベストテンの謎を解き明かすチャンスだと思って自分の中でワクワクしていました(笑)」

――謎というのは?

「たとえば『ミラーゲートの裏ってどうなっているの?』とか『ゲスト席にいる時はどんな話をしているの?』って(笑)」

――ミラーゲートの裏はどうなっていましたか?

「実はミラーゲートをくぐらずに酒井法子ちゃんと2人で一緒に登場したんです。でもこれが最初で最後だったら2度と見るチャンスはないと思って、裏で待っている間にしっかり目に焼き付けました(笑)。裏側もキラキラしていて『へえ、こんな風になっているんだ』って」

――歌い終わった後に座る「ゲスト席」はいかがでした?

「スタッフさんに自分の好きなところに座っていいよと言われて、マネジャーさんの指示もなかったので『どうしよう?』って。それで最初は中央寄りに座って、先輩が登場するたびに端にずれていく感じで結局緊張してどんな会話をしたのか覚えてないです」

――初出演を終えての感想はいかがでしたか?

「感無量でした。応援してくれたファンのみなさんにも感謝しましたし、歌い終わるとスタイリストさんから『これは記念として持っておきなさい』といって衣装の胸元に付けていた大きなブローチをくださったんです。このブローチを付けたのはベストテン初登場の1回だけでしたが、華やかに私を引き立ててくれた大切な宝物です」

「風間唯と浅香唯、今どっち?」スケバン刑事III撮影時は大混乱【写真:荒川祐史】
「風間唯と浅香唯、今どっち?」スケバン刑事III撮影時は大混乱【写真:荒川祐史】

リンボーダンサーの真横やロバの前で笑わないように歌った

――「スケバン刑事III」の頃はお芝居と歌の切り替えが相当大変だったそうですね。

「気持ちの切り替えが結構大変で、いつも家を出るときに浅香唯を着て、家に帰ってきたら浅香唯を脱ぐみたいな。そんなふうに切り替えていたんです。スケバン刑事の最初の頃は歌手の浅香唯が風間唯を演じるという感じでやっていたんですが、風間唯が素の自分に近いキャラクターだったので、だんだん忙しくなってくると浅香唯と風間唯と本当の自分のどっちが自分なの?って時々分からなくなっちゃって(笑)。無意識に素で風間唯を演じていたこともありました」

――そして「C-Girl」(88年)は念願のベストテン1位を獲得して、ミラーゲートを1番最後にくぐりました。

「念願の1位でしたけど、あこがれの先輩方の後に登場するのが申し訳ないというか、中森明菜さんや田原俊彦さんにお尻を向けて歌前のトークをしている時は『私はなんて失礼なことしているんだろう、早く終わらせないと』ってそんな感じでした。だからベストテンの時はいつも緊張していましたね」

――当時は各局で歌番組がありましたが、やはりそれぞれ雰囲気は違いましたか?

「違いましたね。各局の制作の方も『あっちでそれをやるなら、こっちはこれでいこう』みたいな競争意識というか、毎回いろんなアイディアを出していましたね。『歌のトップテン』(日本テレビ系、86年~90年)でグアム中継だった時、リンボーダンサーさんたちが燃えさかるたいまつを振り回して踊っている側で歌ったんです。そしたら本番になったらダンサーさんのテンションが異常に上がって、リハーサルとは全然違うことを始めちゃったんです。それでめちゃめちゃ熱い炎が顔の近くにきて、逃げ回りながら歌ったんですが、生放送だったのでそのまま放送されちゃいましたね」

――「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系、81~89年)のコーナー「ひょうきんベストテン」と変わらないシチュエーションですね。唯さんは着ぐるみを着た片岡鶴太郎さんやレギュラーメンバーに囲まれながら「C-Girl」を歌っていましたね。

「あれは絶対に笑うことを覚悟して歌っているんですが、ベストテンもだんだん遊びの要素が増えてきて、リハーサルができない時に限って、わざと本番で驚かせようと、まったく歌に関係のないロバがいきなり登場したり、後ろで柔道が始まったりとさすがに歌番組なので笑わないようにして歌い切りました(笑)」

――「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系、68~90年)の思い出はいかがでしたか?

「CMに入ると、ひな壇で先輩たちがふざけたりして場を和ませてくれるんですが、当時トシちゃん(田原俊彦)と私は「金太十番勝負!」(フジテレビ系、88年)というドラマで兄妹役をやっていたので私が他の人からちょっかいを出されると『おい!かすみには手を出すなよ!』って役のまま兄として注意してくれたんです。でもいろんな人にちょっかいを出していたのはトシちゃんでした(笑)」

――田原俊彦さんとドラマで共演してみていかがでしたか?

「現場では、本当の妹のように接してくださって、出演者だけじゃなくてスタッフさん全員に気を遣いながらめちゃくちゃ明るく現場を盛り上げていて、こういう人をスターって呼ぶんだなって思いました。たまに疲れた表情の時もあって、きっと寝る暇もないんだろうなって思いましたけど、トシちゃんが撮影でNGを出したところを私は見たことがなかったです」

――唯さんは「スケバン刑事III」が終わって次のドラマ出演となりました。

「まだまだドラマには慣れていなくて最初は共演者のみなさんのアドリブ合戦についていけなかったんです。続けていくうちに少しずつ慣れてきてアドリブを入れてみたら、トシちゃんが『かすみ!おまえよく俺のアドリブについてきたな!良く言えたよ』っていつもほめていただきました。

 後半に差し掛かると私からアドリブを入れると、トシちゃんもそれに応えてくれたり、そういうドラマの作り方、演じ方みたいなものが、やっと見えてきたかなって。ドラマの打ち上げは『ゴルフ大会』でした。私は下手すぎておまけで付いていったんですが、やっぱりトシちゃんは上手でしたね。良き時代でしたね」

□浅香唯(あさか・ゆい)1985年6月21日、シングル「夏少女」で歌手デビュー。キャッチフレーズは“フェニックスから来た少女”。86年、フジテレビ系連続テレビドラマ「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」で主役の風間唯でブレークを果たし、その後、「虹のDreamer」、「C-Girl」、「セシル」、「TRUE LOVE」と4曲ものヒットチャート1位を連発。80年代を代表するアイドルとして活躍。22年6月21日、ハミングバード(現ワーナーミュージック)時代の全シングルとアルバムのサブスク&ダウンロード配信を解禁。9月3日に「Billboard Live OSAKA」で9月11日に「Billboard Live YOKOHAMA」でライブを開催。

次のページへ (2/2) 【写真】初公開!! 浅香唯がベストテン初出場で身に付けていたアクセサリー「私の一生の宝物」
1 2
あなたの“気になる”を教えてください