【THE MATCH】注目集まる天心に敗れた武尊の今後 ビッグマッチを終えて見えてきたもの

「世紀の一戦」といわれた那須川天心VS武尊戦が行われた「THE MATCH2022」(2022年6月19日、東京ドーム)。終わってみれば格闘技史上に残る経済効果を打ち立て、さまざまな人々の喜怒哀楽に訴えかける伝説の大会となった。そこで、改めてこの試合を通して見えてきたものを整理してみた。

天心に敗れた武尊は明日の会見で何を語るのか
天心に敗れた武尊は明日の会見で何を語るのか

「天心は武尊くんをサポートする義務がある」

「世紀の一戦」といわれた那須川天心VS武尊戦が行われた「THE MATCH2022」(2022年6月19日、東京ドーム)。終わってみれば格闘技史上に残る経済効果を打ち立て、さまざまな人々の喜怒哀楽に訴えかける伝説の大会となった。そこで、改めてこの試合を通して見えてきたものを整理してみた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

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 天心VS武尊戦から見えてきたものがある。まず、ひと言で言えば周囲のサポートの力である。

 象徴的なのは“天心パパ”である那須川弘幸TEPPEN GYM会長による、徹底した武尊の研究があげられる。

 これに関しては、試合前の紹介映像でも登場していたが、那須川会長は武尊のクセや弱点を「3冊分くらいは(ノートに記した)」と、“天心必勝ノート”の存在を明かしていた。天心が武尊に対戦表明してから約7年間、実現するか否かも分からないまま、それを続けていたのだから恐れ入る。

 実際、試合後に天心はインタビュールームで記者から「癖や弱点は見抜けていたか?」と聞かれ、こう答えている。

「何個かっていうか、どんなものが来てもいいように対応していたし、練習していたので問題なかったですね」

 天心は3R目で武尊がノーガードの構えを見せたときも、「ここで乗ったらいけないなっていうふうに思いました。全部研究して、(武尊が)笑ったらこのパンチが来るとか、そういう対策もしていたので。笑ったらこういうパンチが来るとか、こういう動きをするとかっていうクセとかも全部(研究を)やってきたので、だから落ち着いてできたと思います」と話している。

 要は、天心には武尊の勝利に向けて、それを強烈に後押しする父親の存在があった。

敗れた武尊にも父親的存在の人物が見え隠れ

「天心は舐めくさっている」

 4月にあった風音戦前にはそう発言し、風音のセコンドで打倒天心を試みた、天心パパ・那須川会長。それが武尊戦に関しては、一転して命懸けのサポートを買って出る。

 この壮絶で複雑すぎる背景から目を背けては、天心VS武尊の本質は何も見えてこない。

「ほんとは直接会って話をしたかったのですが、武尊くんに1番伝えたいことがある。引退なんて考えないでほしい。それはこれからのキックボクシング界の未来を変えていけるのは天心ではなく武尊くんしかいないと言うこと。天心は武尊くんをサポートする義務があるということ」

 23日、那須川会長はTEPPEN GYMのインスタグラムを更新し、天心と激闘を繰り広げた武尊への思いをそうつづっていた。

 一方、敗れた武尊にも、父親的存在の人物が見え隠れしていた。

「応援してくれた人たち、ついてきてくれた人たちに申し訳なかったです」

 インタビュールームに現れた武尊は、それこそしぼり出すようにゆっくりとそう口を開いた。この言葉を含め、最低限の言葉をようやくつむいだといった雰囲気だった。

 そして、ここから質疑応答と思われた次の瞬間、関係者が終了を告げ、武尊はその場を退席したが、確かにこれ以上は話せないだろうという空気感がそこには存在した。

 その関係者こそ、RIZINの榊原信行CEOが一時期、武尊側の窓口として名前を上げていた「関さん」だった。

 記者は、試合後のインタビュールームで武尊に最低限のあいさつだけをさせて、即切り上げさせた場面に、武尊に対する厳しくもかつ温かい愛情のようなものを感ぜずにはいられなかったし、あの瞬間こそ、天心VS武尊における名場面のひとつに当たると思った。

 試合後に天心が話していた通り、6月19日は父の日だったが、あの日の東京ドームにも、さまざまなカタチの“父”と“子”の家族愛が彩られていたことは間違いない。

「THE MATCH」で志朗に勝った玖村将史は「武尊のカタキを取りたい」と発言。時代を掴めるか
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「10・9」と酷似する「THE MATCH2022」

 さて、今回の「THE MATCH2022」は、マット界の流れを長く見てきた人であればあるほど、実は「10・9」とダブらせている人は意外と多い。それは東京ドームでの団体対抗戦というテーマがそうさせている面はあるが、両大会が天下分け目の悲壮感がヒリヒリとただよう大会になったからに他ならない。

 ご存知ない方に説明すると、「10・9」とは、1995年10月9日に東京ドームで行われた、新日本プロレスとUWFインターナショナルの全面対抗戦のこと。その日、武藤敬司と高田延彦はお互いの団体の大将戦を闘い、最後は高田が武藤の足4の字固めで敗れ、Uの最強幻想が打ち砕かれた伝説の大会になった。

 しかしながら、「10・9」では対抗戦の内容や結果とは別に、第1試合で行われた、永田裕志、ケンドー・カシンVS金原弘光、桜庭和志のタッグマッチが、当時、新日本の会長職にあったアントニオ猪木に絶賛されたかと思うと、後のPRIDEでは、桜庭が完全に開花。グレイシーハンターとして、それまで無敗を誇ったグレイシー一族の神話を打ち破ったばかりか、日本で唯一の「UFC殿堂入り」を果たす男として時代をつかんでいった。

 桜庭だけではない。第3試合で飯塚高史を敗った高山善廣も、その後はUインターから全日本→NOAH、さらにはPRIDEでのドン・フライ戦(2002年6月23日、さいたまスーパーアリーナ)が未だに語り継がれる名勝負となり、いつしか“帝王”と呼ばれるまでに至った。

 そういう意味ではこの後、「THE MACTH」に参戦したファイターのうち、誰があの日の影響を引き継いでいくのかに注目が集まる。

 実際、一夜明け会見では、「THE MACTH」で、天心に「ライバル」とも呼ばれた志朗を下したK-1の玖村将史が、武尊に勝利した天心に対する胸裡(きょうり)を以下のように表明している。

「昨日、メインイベント見て思ったことがあるんです。那須川選手がボクシングに行ってしまうと思うんですけど、いい結果を出していずれ戻ってきてほしいと思って。そのときは僕がK-1の代表として武尊選手の敵を獲りたいと思いました」

 また、同じくK-1の安保瑠輝也は「人の試合で初めて本当に、あおりVの映像とか見て、涙ぐんでしまうような部分があった」とコメント。

「それほどにこの2人(天心と武尊)の選手が築き上げてきたものというか。長い間、年月をかけて。それこそ僕も『なんでこの対戦が実現しないんだろう?』とブログを書かせてもらったり、SNSで那須川選手を攻撃するようなこともあったんですけれど。そういうのもすべて、その1戦で6年、7年かけて決するという。手に汗握るじゃないですけど、そういう感覚で。ちょっと言葉に表しようがないですね。感慨深かったです」

 そう話しながら、武尊には「僕が掛ける言葉はないんですけど、本当に、胸を張って、笑顔でいてほしいなって。それだけです」と話している。

 いずれにせよ、「THE MATCH」に参戦するしないにかかわらず、天心VS武尊が誰にどんな影響を与え、この後、それをどう具体的な行動で示していくのか。賽(さい)は投げられた。あとは誰が時代の寵児(ちょうじ)に成り上がるのか。ひとえにその動向を待つばかりになる。

ドームの借りはドームで返せ

 ちなみに、「10・9」と「THE MATCH」を比較すると、必ず「プロレスと一緒にするな」といった些末(さまつ)な指摘もあがるが、そんな方には「10・9」から2年後の高田の話を伝えたい。

「10・9」での敗戦から2年後に当たる、1997年10月11日、高田はヒクソン・グレイシーに敗れ、プロレス側(武藤)だけではなく、格闘技側からも完全に最強幻想を破壊されたことがあった。

 この際、高田は「ここからがスタートです」との言葉を試合後に残したが、当時、「世紀の敗戦」とも呼ばれた敗北は、師匠・アントニオ猪木にも「一番弱いヤツが出て行った(から負けて当然)」との厳しい評価を下された結果、高田はプロレス界から「永久戦犯」のそしりを受けてしまう。

 猪木には猪木の考えがあっての発言とはいえ、生みの親にまでそう斬って捨てられたかのような発言をされてしまったが、だからこそ、次にどんな一手を繰り出すのかには自然と注目させられた。

 その点で言えば、武尊の今後には自然と注目せざるを得なくなる。

 もちろん、敗れた武尊ではなく、ボクシング行きを表明している勝者・天心の動向は見逃せないし、これはこれでいばらの道を歩むことになるのは必至。なぜなら鳴り物入りでボクシングに参入してきた天心と対戦するファイターが、闘志をむき出しにして襲いかかってくることは目に見えているからだ。

 その意味で天心は、毎回、「他流試合」を受けて立つ覚悟を強いられる可能性は否定できないが、それは天心も承知の上。

 こちらとしても、その成り行きはもう少し先の楽しみに取っておくとして、当面の見どころを考えるなら、やはり天心に敗れた武尊が次にどんな動き方を見せるのか、になる。

 実際、そう思っているメディアの人間は決して少なくないらしく、各方面からのニーズを考慮してか、27日午後には武尊の会見が行われることになった。

 当然のことながら、注目されるのはその去就である。リングを去るのか、改めてK-1でやっていくのか。だとしたら相手は誰になるのか。もし仮の話、K-1でなかったとしたら、どこのリングに設定されていくのか。

 ヒクソンに敗れた高田の例を見れば、丸1年後に組まれたヒクソンとの再戦に向けて始動したが、武尊が天心を追ってボクシングに転向する、というのが「物語」としてはアリだとしても、現実論としてそれは考えにくい。

 であればどうなるのか。

 めったなことは言えないが、身勝手な物言いを許容してもらえるなら、ポイントは「東京ドーム」にあるような気がしてならない。

 幸か不幸か、天心VS武尊戦の5日前に当たる6月14日には、フロイド・メイウェザーVS朝倉未来の9月開催が発表されたが、この開催地として、東京ドームも候補に上がっていると聞く。

 そうとなれば、武尊がアクションを起こすべきはこのリング上が最有力候補に思えてくる。

「THE MATCH」構想が現実化してしまった今、もし武尊が次なる目標に向けた再生を表明する場は、やはり東京ドーム以外はあり得ないのではないか。そう思えてならない。あくまで現段階では身勝手な想像でしかないが、そこまでに武尊がどんな決断をしていくのか。

 いずれにしろ、一度動き出ししまった針を止めることは、容易ではないとも考えられる。だとすれば「物語」は、導かれるべき方向へと、勝手に導かれていくに違いない。

 1997年10月11日、東京ドームは「PRIDE」を生み出し、それから25年後の今年、ビッグエッグと呼ばれる巨大な卵は、今度は「THE MATCH」を生み出した。

 ドームの借りはドームで返せ!

 果たしてメイウェザーVS朝倉戦のある日、武尊はどこに……?

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