新日時代の同期は“闘魂三銃士” 18歳息子を男手一つで育てるAKIRAが進む唯一無二の道

“ムササビ”AKIRAが「少年ジャンプで育った世代。努力、友情、勝利をキーワードにまだまだ突き進む」と胸を張った。

前向きに驀進するAKIRA【写真:柴田惣一】
前向きに驀進するAKIRA【写真:柴田惣一】

新日離脱後もさまざまなリングで活躍

“ムササビ”AKIRAが「少年ジャンプで育った世代。努力、友情、勝利をキーワードにまだまだ突き進む」と胸を張った。

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 1966年(昭和41年)生まれのAKIRA。84年に新日本プロレスに入門したが、同期は後の闘魂三銃士・橋本真也、蝶野正洋、武藤敬司。他にも合宿所には山田恵一や船木誠勝など多士済々がそろった黄金世代だった。

「おかしなヤツばかりだったし、先輩も個性の強い方ばかり。道場、合宿所は動物園のようだった。現在は、いろんな業界の人たちとお付き合いさせてもらっているが、マット界には世間とは違う常識がまかり通っていたとつくづく思う」と苦笑い。

 もっとも、嫌な思い出は少ない。2005年に40歳で急死してしまった橋本さんを「イタズラ好きで面倒臭かったけど、あんなにまっすぐで良いヤツは他にはいない」と評した。当時は腹が立ったことでも、時間が経てば青春の楽しい思い出なのだ。

 ライバルたちと競い合って出世レースに勤しんでいた若手時代。新日本の選手に加えてUWFの200%男・安生洋二らとの激突で頭角を現わし、海外遠征で飛躍。IWGPジュニアヘビー級王座を獲得し、ヘビー級転向後の1993年には飯塚高史と伝説の「J・J・ジャックス」を結成している。

「今なら、受け入れられたのかも知れないが、当時は仲間内からもいじられて、アドバイスだか意見だかをアレコレ言われて、考え過ぎた。そのうち、パートナーともギクシャクしてしまい、中途半端に終わってしまった」と残念そうだ。

 黒いショートタイツが主流の時代に、ヒラヒラつきのアイドル風コスチュームにポーズを決めるハンサムフェースの二人のコンビ。確かにJ・J・ジャックスは時代を先取りし過ぎたのかも知れない。

 その後も、平成維震軍、TEAM2000と、新日本本隊と対立する軍団で暴れ続けた。2004年に新日本から離脱後も様々なリングで活躍し続けている。

 ファイトと演劇を合体させた「魔界」でも、戦国大名・陶隆房(すえ たかふさ)として登場。「もう6年かな。ライフワークになっている」と声を弾ませる。

 加えてパーソナルトレーナーも務めており「10年以上になる。芸能界の人とか、指導しながらこちらも勉強させてもらっている」とにっこり。

 AKIRAの「月刊ムササビプレス」(ラジオフチューズ87.4MHz【府中コミュニティエフエム】)でパーソナリティーとしても好評を得ている。

18歳の息子との関係性は良好「いい子。反抗期もなかった」

 実は18歳の息子さんを8歳の時からシングルファーザーとして育てている。父子家庭は苦労もあったはずだが「子どもの方も事情を察してくれて、いい子だった。反抗期もなかった」と親子関係は良好なようだ。

 183センチの長身、バンドではボーカル、なかなかの美声だという。「男の友達ばかりで、ワイワイやっている。ガールフレンドはいないのかと、ちょっと心配」と父の顔。絵を描くことも得意で美術大の絵画コースで勉強しているという。

 公私に渡って充実するAKIRA。今は大人の運動会、部活と言えそうな「クロスフィット」にハマっている。日常生活で繰り返す動作を、トレーニングすることで基礎体力のアップを目指すのだが、定期的にリモートで成果を競い合う競技会も開かれているという。
 AKIRAは55歳~59歳のクラスで、日本で5位、アジアで13位、世界だと1240位。持ち前の負けず嫌い全開で、さらなる上位を目指して奮闘中だ。

 7月10日の群馬プロレスカーニバル2022(藤岡市民ホール)に参戦が決定。さらに「第70回魔界‐FIRE BAL」(7月15日、なかのZERO小ホール)も控えている。

 56歳にして意気軒昂(いきけんこう)のAKIRA。これまでの道のりは決して平たんではなかっただろうが「花も嵐も踏み越えて行くが男の生きる道」と、人生を謳歌している。シングルファーザーの生活もひと息ついて、これからますますムササビのごとくリングを飛び回る。

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