「舞台に立つのが怖くなった」 佐伯亮が挫折を乗り越え憧れの下北沢の舞台へ

「いつか下北沢の劇場の舞台に立ちたいと思ってやってきました」。2.5次元ミュージカルの主演など舞台を中心に活躍する俳優の佐伯亮が、この夏、「劇」小劇場で開催する舞台「幸せになるために」に出演する。第22回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストのファイナリストから13年。近年は若手俳優ユニット「SUNPLUS」(=サンプラス)のメンバーとしても活躍するが、本人は冷静に今の自分を見つめながら目標に向かって一歩ずつ着実に進んでいる。目立ちたがり屋だった少年が挫折を繰り返して下北沢の劇場にたどり着くまでを追った。

俳優ユニット「SUNPLUS」でも活躍中の佐伯亮【写真:小林利史】
俳優ユニット「SUNPLUS」でも活躍中の佐伯亮【写真:小林利史】

日芸出身の26歳俳優を魅了した下北沢の舞台

「いつか下北沢の劇場の舞台に立ちたいと思ってやってきました」。2.5次元ミュージカルの主演など舞台を中心に活躍する俳優の佐伯亮が、この夏、「劇」小劇場で開催する舞台「幸せになるために」に出演する。第22回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストのファイナリストから13年。近年は若手俳優ユニット「SUNPLUS」(=サンプラス)のメンバーとしても活躍するが、本人は冷静に今の自分を見つめながら目標に向かって一歩ずつ着実に進んでいる。目立ちたがり屋だった少年が挫折を繰り返して下北沢の劇場にたどり着くまでを追った。(取材・文=福嶋剛)

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「実は僕、舞台に立つのが怖くなってこのまま逃げたいって思っていた時期がありました。2018年だったからつい4年前の話です」

 1995年10月10日「体育の日」(現在は「スポーツの日」)に広島市内で生まれた佐伯は、兄と4人暮らしのサッカーが得意なごく普通の少年だったという。

「幼稚園の頃からサッカーをやっていたんですが、家では絵本を書いたり、物語を自分で作って指人形で1人遊びをするのが好きでした。小さな子どもたちと一緒に遊ぶこと大好きで、将来は幼稚園の先生になりたかったんです。実際に高校に入って養護保育の授業も受けていて、もし俳優をやっていなかったらそっちの道に進んでいたと思います」

 そんな心優しい少年だったが決して引っ込み思案ではなく、むしろクラスでは人気者で徐々に目立つことに喜びを覚えていったという。

「今振り返るとめちゃくちゃ恥ずかしいんですが、中学生になって“世の中で自分が1番カッコいい”って勘違いしてました(笑)。中学2年のときに雑誌『ジュノン』を見て自分からコンテストに応募してみました。そしたらファイナリストの10人に選ばれて決勝大会に出場するため東京に行くことになりました」

 突然訪れたチャンスに家族も最初は戸惑ったというが、みんなで佐伯を応援した。佐伯も意気揚々と東京に到着したが、そこで待っていたのは人生最初の大きな挫折だった。

「スターになってやるって意気込んで広島から出てきて東京会場に到着した瞬間、ほかのファイナリストは全員キラキラしていて僕なんか足元にも及ばない。『こ、これが東京かー!』って(笑)。審査が始まり、審査員の前に立った瞬間に頭が真っ白になって何ひとつアピールできませんでした。『広島から出てきた天真爛漫な雑草魂で……』今も恥ずかしい」

 結局、ファイナリストには残ったもの受賞は逃した。

「心の中で“ポキッ!”て何かが折れる音が聞こえました(笑)。でも、これで次の道が開いたっていう思いもありました」

「SUNPLUSの仲間とは友達以上でケンカは1度もありません」【写真:小林利史】
「SUNPLUSの仲間とは友達以上でケンカは1度もありません」【写真:小林利史】

劇作家・赤澤ムック氏との出会いがターニングポイントに

 念願だった大手芸能事務所に所属したがまだ中学生だったこともあり、しばらくは広島と東京を往復しながらの活動だった。ようやくチャンスが訪れたのは高校2年生の頃、初めて舞台で配役をもらえた。

「『華ヤカ哉、我ガ一族 オペラカレイド』という6人兄弟が父の跡取りを争うという話なんですが、僕は五男の宮ノ杜博役でした。歌あり、ダンスありの“初めてづくし”でもう頭の中は常にいっぱいいっぱいでした」

 この日のために何年も芝居やダンスのレッスンを重ねてきたが、どんなに練習を重ねてきても本番はまったくの別物。無我夢中でなんとか乗り切った。

「正直、恥ずかしくて当時の記録は今でも見たくないです。でも周りの評価は置いといて、自分の中では1つクリアしたという達成感がありました。もっと上を目指して役者という仕事をやっていきたいって心から思った瞬間でもありました」

 同時に佐伯の恩師で劇作家の赤澤ムック氏との出会いが役者としての扉を開いてくれた。舞台を中心に国内外で活躍する赤澤氏は佐伯が出演する舞台の多くの脚本・演出を担当した。駆け出しの佐伯には遠慮のない厳しい注文を次々と浴びせた。

「10代の頃からめちゃめちゃ師匠に怒られてきました。赤澤さんの言葉で今でも大切にしていることが『考える前に動きなさい』です。常に考えこんで台本ばかりに目がいってしまう僕に、『迷ったら動いて周りをもっと見て』と。今でも僕を見守ってくださる大切な恩師です」

 高校を卒業した佐伯は合格率10%以下の日大芸術学部の映画学科に合格し、演技だけでなく映画の制作や脚本を学んだ。映画を見ないと授業についていけないため、多いときは月に60本は見たという。無我夢中だった演技にも少しずつ視野が広がっていった。

「大学で学んだことが僕にとって大きなターニングポイントになりました。自分で映画も1本作ってみて、チームワークや人とのつながりの大切さみたいなものを学びました。同時に自分は作る側よりも演じる側でいたいってそう思いました」

「めっちゃキレイ好きなんですけど、めっちゃ面倒くさがりなんです(笑)」【写真:小林利史】
「めっちゃキレイ好きなんですけど、めっちゃ面倒くさがりなんです(笑)」【写真:小林利史】

3時間半のハードな主演舞台が自分を成長させた

 それから順風満帆に舞台に映画にと活躍の幅を広げていったが、突然の挫折が訪れた。舞台に立つのが怖くなってしまったという。

「舞台というのは同じ演技、同じセリフを毎回繰り返していきますが、同じことが、うまくできなくなってしまうというスランプに陥ってしまい、おまけにもともと極度の緊張タイプで余計におかしくなり、いつも舞台袖でおう吐しそうなくらいの状態でした。悔しくて逃げ出したかったのですがなんとか完走しました」

 そんなタイミングで佐伯が昔から大好きな劇団ナイロン100℃の舞台を下北沢に見に行った時、転機が訪れた。

「下北沢の本多劇場で『百年の秘密』という舞台を観覧しました。それは僕にとっていまだに心に焼き付いて離れない作品で、あらためてこの下北沢の舞台に立つのが夢だったって気が付きました。すごく力が湧いてきた瞬間でした」

 加えて舞台「西遊記~千変万化~」(2019年)で主演の孫悟空役をつかんだ。怖さもあったが3時間半のハードな舞台をやり切った達成感がスランプを消し去った。

「中央でスポットライトを浴びる喜びは何ものにも代えがたく、お客さんをはじめ、舞台を作ってくださるすべての方とコミュニケーションも取れましたし、ようやく芝居が楽しいって思えるようになりました」

 ここで訪れたコロナ禍。舞台はしばらくできなくなったが佐伯はむしろ自宅での生活を楽しんでいたようだ。

「絵を描くのが昔から好きでタブレットとペンを使って毎日絵を描いていました。気に入ったものは『SUNPLUS』でグッズにしたり。そういう切り替えは得意な方かもしれません」

 そして今年、憧れだった下北沢の劇場で芝居ができるチャンスが訪れた。8月に「劇」小劇場で開催する舞台「幸せになるために」への出演が決まったのだ。鳥居みゆきの主演をはじめ豪華俳優陣が脇を固め、200人規模の劇場だからこそ実現できる演出が待っているという。

「小劇場って何も隠せないというか動きや言葉1つ1つ全部お客さんに伝わってしまう。スリリングだし、良い意味で自然体でできるのも小劇場の魅力です。リハーサルはこれからですがもう今からワクワクしています」

 ここまで応援してくれたファンへの感謝も忘れない。

「こうやって自分の夢をかなえられるのもずっと応援してくださったファンのみなさんのおかげです。そんな感謝を込めて、舞台の感想を送っていただいた方にサイン入りのポストカードをプレゼントしようという企画を考えました。僕自身どんな演技だったのか、ぜひ教えてほしいです」

 最後に今後の夢や目標を聞いた。

「今の目標は朝ドラに出演することです。そして歳を取っても舞台で倒れるまでずっとずっとお芝居をやり続けたいです。あこがれる俳優さんは光石研さんです。光石さんみたいなカッコいい歳の取り方をして、いつかあんな存在になれたらいいなって思います」

□佐伯亮(サエキ・リョウ)1995年10月10日、広島県出身。「あんさんぶるスターズ!エクストラ・ステージ」で主演を務めるなど、多くの舞台やミュージカルに出演。テレビ朝日「あざとくて何が悪いの?」の「あざと連ドラ」ではヒロインの彼氏「エイト役」を演じ話題に。2022年8月3日(水)~「劇」小劇場にて上演の“STRAYDOG” Produce 『幸せになるために』出演予定。

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