地雷を踏んで事故死、強盗に襲われることも…パリダカが「世界で最も過酷」と呼ばれた理由

元プロラリードライバーの根本純さん(71)は激流のような人生を歩んできた。湘南の裕福な家に生まれたものの、父親の会社が倒産し、6畳一間に家族4人で暮らす少年時代を経験。17歳で免許を取り、ラリーの道に進むと、箱根の峠での猛特訓を経て、世界で最も過酷とされるパリ・ダカールラリー(現ダカールラリー)に日本人として初挑戦、トータル13回にわたって出場した。その後は文京区議会議員、国会議員の公設秘書などを経て、現在は旧車イベントなどを主催している。ぶっ飛んだ人生をひも解く連載の最終回となる6回目。

トヨタ・ランドクルーザーで険しい道を進む【写真:(C)ACP】
トヨタ・ランドクルーザーで険しい道を進む【写真:(C)ACP】

命を狙われても「ついてねえな」で終わっちゃう世界

 元プロラリードライバーの根本純さん(71)は激流のような人生を歩んできた。湘南の裕福な家に生まれたものの、父親の会社が倒産し、6畳一間に家族4人で暮らす少年時代を経験。17歳で免許を取り、ラリーの道に進むと、箱根の峠での猛特訓を経て、世界で最も過酷とされるパリ・ダカールラリー(現ダカールラリー)に日本人として初挑戦、トータル13回にわたって出場した。その後は文京区議会議員、国会議員の公設秘書などを経て、現在は旧車イベントなどを主催している。ぶっ飛んだ人生をひも解く連載の最終回となる6回目。(取材・構成=水沼一夫)

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 パリダカには13回出て6回完走したんだけど、危ない目にも何度か遭った。砂丘で車ごと20メートルくらい飛んでバンパーから刺さってひっくり返ったこともあるし、助けが来るまで1人で1日半、野宿で待っていたこともある。心細いよ。フンコロガシと遊んでるくらいで、ほかにやることはないからね。

 治安はやっぱりよくないよね。例えば砂漠の真ん中でエンジンがいっちゃって、車を脱出させるのに、民間の車を呼んで乗せるじゃない。でも、車をそのままにしておくと、“ハゲタカ”にやられちゃう。それを狙っている人間たちがいる。

 1回アルジェリアに出て、やっとホテルに泊まれるなと思ったら戒厳令が出ていて、交番の横にテントでビバークした。そしたら夜中にテントごと強盗に引きずられて、持っていかれそうになった。声を出したら、さすがに交番の横だったから大丈夫だったけど、まああれは怖かったね。

 俺は自分のことを「不幸中の幸い男だ」って言ってますよ。あるとき、総合19位で走っていて相当、調子が良かった。ものすごい深い砂丘地帯に入っていて、三菱が抗議のために途中で離脱しちゃったぐらいすごいところなんだけど、そのときに主催者がヘリコプターで降りてきて、「ここは俺が作ったルートだから度胸があるやつは行け」「必ずやるんだ」みたいなかっこいいことを言ったんですよ。

 そしたらあまりに道がひどいので、俺たちの後は全部キャンセルになっちゃった。それでも俺たちは進んで、三菱は左に迂回して、シトロエンはちょっとまっすぐ行ったのかな。俺たちは三菱の後をついていったら、その当時は日産のテラノだったけど、車の燃料系が壊れてガス欠になった。もう夜になっていて、前に日野のトラックが走っていたんだけど、テールランプがすーっといなくなってさ。そのときは「もう終わったな…」と覚悟したよね。そこはコースから外れちゃっているし、もう人なんかも来ないだろうと思って、さあ小便でもためて生き延びることを考えるか、みたいなそういう世界でしたよ。

 1時間ぐらいしたとき、ライトが変なところから見えて車が近づいてきて、「どうしたの?」って声をかけてきた。近くでミネラルウオーターの採掘をしていたらしくて、フランス人の技師みたいな人がたまたま通ってくれて、たまたまガソリンがあるところに案内してくれた。ちょっとだけ燃料を手に入れて、なんとか脱出できたよね。

チームワークも大きなだいご味。テーブルマウンテンをバックに【写真:本人提供】
チームワークも大きなだいご味。テーブルマウンテンをバックに【写真:本人提供】

地雷原の真横を爆走 危険と隣合わせの過酷ルート

 治安の問題はずっとあって、最初の頃はジャーナリストが死んじゃったり、81年と82年はたまたまだろうけど、3人ずつ命を落としている。事故もあるし、途中で強盗やテロリスト、犯罪集団がドライバーを待ち構えているから、危険とは常に隣合わせだった。命を狙われてもそれはしょうがないというか、ついてねえなで終わっちゃう世界だから、まあ過酷ですよ。

 結局、アフリカでは開催できなくなっちゃったんだけど、究極だったのは91年だったかな。

 リビアに初めて入るというので出場したときに、ここから先のコースは左に絶対それるなという注意があった。なぜかといったら地雷原があると。実際にそのとき、カミオンというでかいトラックが地雷を踏んでしまってドライバーが1人、亡くなっちゃった。

 あとで空撮で見ると、あり地獄みたいにちょっとくぼみがあるわけよ。なぜかというと、地雷の信管が出ているでしょ。そこに風が吹くと、ちょっと谷みたいになる。空撮だと分かるけど、俺たちは100何十キロで走っているから分からないじゃん。そのとき、信管のすぐ脇に車のわだちの跡なんかついているから、もううわーって。たぶん対戦車地雷だから、トラックは重い分、余計に反応しちゃったんだと思うよね。

 俺も日本のラリーとかいろいろ経験したけど、パリダカの魅力ってやっぱり、コースにしろ、条件にしろ、究極の世界一過酷なラリーなのは間違いないというところなんですよね。そんな中に身を置ける環境って普通はないし、自分を極限状態に持っていけるんですよ。

 地べたを20日間、這いつくばって、最後の19日目に、日本でいう九十九里浜みたいな開けた場所にポンと出るんですよ。そこの海岸線でビバークして翌日、海岸線を気持ちよく走れる72キロぐらいのスペシャルステージがある。それで最後に銚子の先みたいなところにダカールという街があって、何万人がワーッってやってくれてパレードするの。初めは這いつくばっていたけど、この苦労に苦労を重ねての達成感は、山登りってこういう感覚なんだろうなってなんとなく思ったよね。

 それと一生のうちで、自分のやってきたことが世界で何番目かなんて分からないじゃない。だけど、誰に聞いても「あれは世界一のラリーだよ」と言ってくれるパリダカでは、総合30位とか嫌でも順位がついちゃうわけよ。それもある意味で面白いよね。地球儀に線が書ける旅をやっていて、「ここは俺じゃないんだよな、運転しているの」っていうのはなんとなくシャクだから、結局ドライバーも交代しないで全部やる。そんな繰り返しだよね。

10回パリダカのプレートを持つ根本さん。日本人の出場が多くパイオニアがスポンサーだった【写真:ENCOUNT編集部】
10回パリダカのプレートを持つ根本さん。日本人の出場が多くパイオニアがスポンサーだった【写真:ENCOUNT編集部】

最低な自分と頑張る自分 人生をさらけ出すパリダカ

 サハラ砂漠の中をどうやって進むかというと、最初はコンパスを使っていた。角度を出して進むんだけど、振動もあるし、車は磁気の塊だから正確じゃない。正しいルートには目印や石を積んだ座標があったり、杭が立っている。それから古タイヤが置いてある。例えば10キロ先にこういうタイヤがあるから、そこまでいったら、90度左に曲がるとかね、そういう指示書が出る。そうやって走る。だから難しいし、大変ですよ。

 最盛期はバイクやトラックを合わせて1000人ぐらい出るんだけど、それがどこ行っちゃったの?っていうぐらい見えない。かすかに土煙が見えていたなと思うものが、もう見えなくなっちゃったり。それぐらい広大な中を走っているから、極端な話、ゴミが落ちていると、キラッと光ったりしてるわけ。

 ゴミ袋を見るとホッとして、「ここ、前に走っているやつがいる」とか「ほら同じものを持っているからパリダカの車だ」とか、そういう安心があったり不安があったりが、ものすごい。

 走り方もスピードをつけていったり、遠心力をつけて一気に越えていったり、最初は痛い思いをしながら、経験でどんどん覚えていく。それもだいご味だよね。

 車はいかに軽くするかだから、断熱材も全部はがしちゃう。もう靴の底が溶けちゃうぐらい暑い。缶詰を積んでいると、振動でだんだん角が丸くなっていく。遅い車を抜くときはほこりがすごい。もう目は痛くなるし、鼻はかむと鼻血が出てくるし、車の中に何ミリもほこりが積もる。車がドカーンってなると、また車の中で舞うしさ。そういう世界。ひどかったときは食事にもあたって、下痢で毎日1キロずつ10キロやせたこともあった。最低な自分もいるし、俺って結構頑張るなっていう自分もいる。パリダカは全てをさらけ出して生きていかなきゃならない。

 夫婦で出ると、一生添い遂げるか、もう終わった途端に離婚かのどちらかなんだよね。実際そういう夫婦を何組も見ている。それぐらい生きざまが出ちゃうから、面白いっていうかすごいよね。

ケープタウンにて【写真:ENCOUNT編集部】
ケープタウンにて【写真:ENCOUNT編集部】

サハラ砂漠が「最高の舞台」と言い切れる理由

 よくやるよと思うけど、やっぱり楽しいんですよね。あるとき、4番目の順位につけて、世界のトップドライバーより俺が前にいたことがある。これは気持ち良かったよね。その時は道がぬちゃぬちゃで、泥でマッディーで、テクニカルなコースだった。そういうところは日本人でも通用するんだけど、高速で行きっぱなしみたいなところはなかなか勝てない。ワークス車とか、やっぱり作りが違うじゃない。同じいい車に乗せてくれたら負けないよっていう自負はずっとありますよ。

 92年には、ゴールがダカールじゃなくて、南アフリカのケープタウンまで行ったことがあった。結果としてはアフリカ縦断だから面白かったけど、サハラ砂漠を抜けちゃうと、ジャングルの中の1本道だから、抜きつ抜かれつがあんまりできない。ツーリングになっちゃって、全然コンペティションにならなくなっちゃった。無理に抜こうとすると、木にぶつかって死んじゃったりさ、そういうトラブルもいっぱいあった。

 だからそういう意味では、やっぱりサハラ砂漠が最高の舞台だよね。みんな砂漠というと、なんとなく、月の砂漠のイメージでいるけど、実際にはものすごい岩漠があって、土漠があって、過酷な環境が全部ある。それがパリダカなんですよ。

□根本純(ねもと・じゅん)1951年5月25日、神奈川・藤沢市出身。81年、日本人として初めてパリ・ダカールラリーに挑戦。97年まで13回出場し、完走6回、リタイア7回。5大陸55か国200万キロを走破。元文京区議会議員。現在はツーリングイベント「THE銀座RUN」などを主催。秋には「THE清里RUN」を行う。「VAZ☆Club De i」主宰。

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