【ズバリ!近況】体操教室経営の池谷幸雄さん「コロナの影響は相当痛い」体操界の苦境も明かす
新型コロナウイルスは体操界にも影響大
日本を代表する村上茉愛選手は、うちが小平校をたちあげたときに入ってきた子です。4歳から高校までうちがあずかり、当初は僕も指導していました。茉愛は最初から動きが違いましたね。柔軟性があって筋力もあって小柄だから、「この子は日本を代表する選手になるな」と思いました。東京五輪は代表選手がまだ決まっていませんけど、茉愛が選ばれる可能性はじゅうぶんにあり楽しみです。ただ、今はコロナの影響で、世界の五輪代表選考を兼ねた大会に選手が出場できなくなっていたりして、影響がものすごく出ているんですよ。選手も指導者もみんな不安に思っています。東京五輪が無事に開催されることを祈るしかありません。
東京五輪では僕はあちこちのテレビ局からコメンテーターを、という打診を受けています。日本チームの成績が良ければ僕のオファーも増える。リオデジャネイロ五輪のときは夜中にずっと中継を見て映像も撮っていたのに、結局、その日はメダルなしで僕のテレビの出番もなし、ということがありました(笑)。日本の体操チームの勝敗、東京五輪が開催されるかどうかは、僕にとっても死活問題なんですよ。
3回目の結婚はせず独身を貫いている
僕は2度目の五輪が終わってすぐ、22歳で引退しました。そんなに早く引退したのは、身体がもうボロボロだったから。当時は痛みがあっても根性で直す、というのが普通で、ケアをほとんどしていなかったんですよね。その反省から、小平本校には整骨院を併設し、僕の教室の選手たちの身体をケアしています。僕自身は時間があるとスポーツジムに行って、今も筋トレをしています。講演に行ったら倒立したりしていますよ(笑)。
独身です。結婚は2回しましたから、もうこだわっていません。忙しくて、出会う場所に出かける時間もない。最初の結婚のときに生まれた娘がいますしね。今年25歳になり、CM制作会社に勤めています。体操はやりませんでしたね。ずっと塾に行って、オーストラリアに語学留学して……勉強していましたね。月1、2回会っています。顔は僕とめちゃくちゃ似ていますよ(笑)。
□池谷幸雄 (いけたに・ゆきお)1970年9月26日、東京・府中市生まれ、大阪市育ち。4歳から体操を始め清風高校3年の1988年、ソウル五輪に出場し団体銅、個人種目別ゆかで銅メダル獲得。日本体育大学に進学し4年生の1992年、バルセロナ五輪出場。団体銅、個人種目別ゆかで銀メダル獲得。同年引退しタレントに転向。2001年、池谷幸雄体操俱楽部設立。タレント業と並行して、村上茉愛選手などトップレベルの選手を育成してきた。2度の結婚・離婚を経て独身。