「鬼神」ターザン後藤さんの素顔 迫力の鬼軍曹もグズる子どもに「いない、いない、ばあ」

「鬼神」ターザン後藤(本名・後藤政二)さんが5月29日、亡くなった。58歳だった。

リング上に仁王だつターザン後藤さんはド迫力【写真:柴田惣一】
リング上に仁王だつターザン後藤さんはド迫力【写真:柴田惣一】

毎週金曜日午後8時更新 柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.97】

「鬼神」ターザン後藤(本名・後藤政二)さんが5月29日、亡くなった。58歳だった。

 後藤さんは大相撲から全日本プロレス入り。1981年12月にデビューしている。82年から取材活動を始めた記者にとっては、年は下でも先輩。クセの強いベテラン選手が多かった当時の全日本軍団にあって「柴田クンは…?」と気さくに声をかけてくれた。

 優しい笑顔によく救われたものだ。

 1985年に海外遠征に旅立った。米カンサスシティを拠点にしていたころ、現地取材したことがある。そのころは米国生活の必需品・車もなく、試合出場も少なかった様子だった。

 郊外のアパートをやっと探し当てた。ひげを蓄えていたものの、変わらぬ笑みにホッとした瞬間を鮮明に覚えている。いつもの口調で「どこでも歩いて行く。ジムやスーパーも大体、1時間かな」と答えてくれた。

 不器用な後藤さんらしかった。海外遠征で若手選手のサバイバルセンスがわかる。現地の日本人駐在員と仲良くなり、色々とお世話になる者。現地の若手選手とスクラムを組み、共同生活に活路を見出す者。日本人の先輩レスラーのところに転がり込む者…さまざまだったが、米生活もまだ間もないこともあってか、後藤さんは一人で文字通りのサバイバルライフを送っていた。

 記者のレンタカーで一緒に買い物やジム通いをしたが、いかんせん、後藤さんは普段から運転していないため、道案内にも不慣れだった。あの頃はナビなどなく、あっちへこっちへ、人里離れた森に迷い込んでしまったこともある。本当に怖い思いもし、車内が険悪な空気になったのも一度や二度ではなかったが、純真無垢というか、あっけらかんとした後藤さんのマイペースぶりに、やり場のない怒りの感情はいつの間にか消えていた。

 次の取材日程が決まっていたため、短い再会になってしまったが、その後、後藤さんは女性レスラーと結婚し、米国生活にすっかりなじんでいった。「コックをやっている」という情報もあった。ジャイアント馬場さんからの帰国指令にもなかなか応じなかったようだ。「後藤は向こう(米国)に骨を埋めるつもりなんじゃないか」という声をしばしば耳にしたものだ。

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