マギー審司が語る亡き両親への思いと子育て論「親の威厳がなくなってきてる」

家事育児について私見を語るマギー審司【写真:ENCOUNT編集部】
家事育児について私見を語るマギー審司【写真:ENCOUNT編集部】

昨年父が他界、自身が親となった今あらためて感じる両親への感謝

――下積み時代は。

「本当にお金がなかったけど、厳しい世界で貧乏もネタにするんだって気持ちで頑張ってた。だから親からの仕送りの段ボールが届いて、ネタ録画用のビデオテープのケースに1万円札が挟まれてたりすると『こんなんいらねえから送ってくんなよ!』『ハングリー精神がなきゃダメなんだよ!』ってよく強がってよく反発してました。ただ、そうは言いながらも、やっぱ探しちゃうんですよね(笑)。親も親で『ああ言いつつも、あてにしてるだろうな』って、今度は野菜の陰とかに隠してあったり、今思えば親の手の上で泳がされてたなと。一度、本当に入ってなかったときは、やっぱりショックでしたしね(笑)」

――2017年に母、昨年には父が他界。両親への恩返しは。

「もうちょっとしたかったけど、あんまりさせてもらえなかったかな。でも、電気屋は継げませんでしたけど、こうやってテレビにも出られるようになったことを喜んではいたと思うんですよね。ビデオも全部撮ってましたから。おやじは風呂場で死んじゃったんです。母親が亡くなってからだんだん元気なくなってて。いつも仏壇の前で母に話しかけるような感じで。早く母のところに行こうと死に場所を探してるような感じで、酒に酔って風呂に入って。そんなに苦しくはなかったんじゃないかな。人に迷惑をかけないおやじらしい最期を迎えたのかなって思う。ズルいなあ、おやじはって」

――プライベートでは14歳、12歳、10歳の3児の父親。自身が親になってみて。

「事務所のプロフィルには趣味『育児』と書いてますが、嫁からは『ろくにしてもいないのに書かないで』と言われてます(笑)。親ってもっとしっかりしてるもんだと思ってたけど、意外と子どものまま大人になっちゃったなと。僕のおやじだったら、ゲームばっかりしてたら怒鳴ってたと思うんですけど、今は一緒になってゲームしたり、親としては背中を見せられてないというか、何だか情けないなと思ってます。僕が思ってた父親像とはちょっと違いますね。一家の大黒柱として厳しくありたいとは思ってるけど、時代がそれを許さない雰囲気はありますよね。

 家事もやりますよ。苦じゃないですから。でも、最初は情けなかった。結婚当初、食器を洗ってる僕をおやじが寂しそうな目で見てたんですよね。口には出さず、『今はこういう時代だから』って自分に言い聞かせてたおやじの姿は今も目に焼き付いてます。昔は家の中でも母親が父親のことを立ててたじゃないですか。今はお母さんが『パパはだらしないね』と言って、子どももそういう目で見たり、家庭内で父親の立ち位置がどんどん下がって、親の威厳というものがなくなってきてる。ただ、自分の娘が親になったとき、亭主関白で我慢してる姿も見たくないし……。何が正しいかは分からないですけどね」

――東京の父であるマギー司郎師匠とは。

「師匠のことは何も分からないですね。家も転々としてますし、今どこにいるのかも分からない。急に『ご飯でも食べよっか』と電話があって会うような間柄です。ただ、師匠もおやじと一緒で人を大事にする人だから、困ったときにはいろんな人が助けてくれる。あんまり心配はしていません」

――弟子を取って司郎師匠と3代そろっての共演の夢も語っている。

「その話はよくしてるんですけど、自分が弟子を取れるレベルには達してないし、それはこの先も……。僕は自分みたいなやつが嫌いだし、弟子を取ったらつらい思いをさせちゃうだろうし、その子がかわいそうだと思っちゃう。そもそも、弟子にしてほしいという人はたまに来るけど、真剣な気持ちで来た人は1人2人ですし。中国人の奥さんとベビーカー連れて、『子ども食わせていかなきゃいけないんで弟子にしてください』なんて、まず仕事しろよ! って(笑)。ただ、マギー一門の歴史は途絶えさせたくないんで、もう5年10年たって、自分がもう少し落ち着いたらですかね」

■マギー審司(まぎー・しんじ)、本名・三浦審(みうら・しん) 1973年11月11日、宮城県気仙沼市出身。小学生の頃からマジックに興味を持ち、高校卒業後渡米し、プロのマジシャンの下で修行する。帰国後の1994年、マギー司郎に弟子入り。NHK「爆笑オンエアバトル」で負けなしの10連勝を記録。2005年には第21回浅草芸能大賞新人賞受賞。師匠譲りの話術とマジックで多方面で活躍中。

次のページへ (3/3) 【写真】3兄弟そろって正座させられていた小学生時代のマギー審司
1 2 3
あなたの“気になる”を教えてください