マギー審司が語る亡き両親への思いと子育て論「親の威厳がなくなってきてる」

「耳がでっかくなっちゃった!」のギャグでおなじみの手品師・マギー審司。幼少時は生粋の悪ガキだったと省みる反面、現在は良きパパとして子煩悩な一面も見せる。昨年亡くなった昔かたぎの父が「憧れだった」と語るマギーに、マジシャンを志した経緯や令和時代の子育て論について聞いた。

マジシャンを志した経緯を明かしたマギー審司【写真:ENCOUNT編集部】
マジシャンを志した経緯を明かしたマギー審司【写真:ENCOUNT編集部】

高校卒業後、親に進められ留学したアメリカで本場のマジックと出会う

「耳がでっかくなっちゃった!」のギャグでおなじみの手品師・マギー審司。幼少時は生粋の悪ガキだったと省みる反面、現在は良きパパとして子煩悩な一面も見せる。昨年亡くなった昔かたぎの父が「憧れだった」と語るマギーに、マジシャンを志した経緯や令和時代の子育て論について聞いた。(インタビュー・佐藤佑輔)

――気仙沼の電気屋で生まれ育った幼少期は。

「本当にヤンチャ坊主というか問題児というか、手に負えない悪ガキでしたね。弟はいじめるしお兄ちゃんの友達にはイタズラはするし、学校では席替え関係なくいつも最前列の先生の目の前の席。でも『ここが特等席だ!』ってそれも自分で気に入ってました。もともと人前で目立つのが好きで、今日はどうやって授業を妨害しようか、クラスを笑わせてやろうかって毎日そればっかり考えていましたね。

 家は父親が厳しくて母親は優しくて、男3人兄弟なんですがいつも連帯責任で、実家の電気屋の店の前でマトリョーシカみたいに3人そろって正座させられてました(笑)。昔かたぎの頑固おやじって感じで、厳しくされても嫌いにはならなかったし、おやじの言うことは間違いないんだと絶対の信頼があった。おやじはうちの電気屋を3兄弟に継がせて3号店経営するのが夢で、ずっとそれを聞いて育ったので、いずれは自分も電気屋になるんだろうと思ってました」

――人生で最初にやったマジックは。

「両手を重ねて『親指が取れた!』とかそんなレベルだと思いますけど、よく覚えているのは小学生のときに母親がどこかのお土産で買ってきてくれたマジック用のトランプで、これが本当によくできてたんですよね。好きなカードを一枚選んでそれを真ん中に差し込むと上から出てくるっていう仕掛けのあるトランプなんですけど、これを学校でやったときに、それまでのちょっとした手品とはみんなの驚き方が違ったんですよね。全然分かんないって。誰にもタネを明かさず優越感に浸ってました」

――高校卒業後、留学したアメリカで本場のマジックを習った。

「実家の電気屋を継ぐ前に一度世界を見てこいと親に言われて、1年くらい外の世界を見てくるのもいいかなあって。すごく行きたい気持ちがあったわけではなく、親に言われるがままに行ったような感じですね。父親の知り合いのおすし屋さんが海外に姉妹店を出店してたので、そこで働く形で渡米して、現地でたまたまプロのマジシャンと仲良くなって、いろいろ教えてもらううちにどんどん手品が好きになっていった。でもマジシャンで飯を食ってく方法が分からなかったし、帰国後も2週間の住み込みでファンヒーター取り扱いの研修会に参加したり、電気屋を継ぐつもりで手品師になろうとは思ってなかったですね」

――手品師を志した経緯は。

「やっぱり目立つのが好きで、あるとき『笑っていいとも』の素人コーナーのオーディションに受かってテレビに出演したんですけど、それがすごく気持ちよかったんですよね。みんなから『すごいね!』ってチヤホヤされて、こんな仕事ができたらいいなって。テレビに憧れて芸能界に憧れて、職業としてマジシャンを目指してみようと(マギー司郎)師匠にハガキを書いたら連絡があって、それでこの世界に飛び込んだんです。両親は僕の性格をよく知ってるので、『一度言ったら何言っても聞かないだろう』『でも、飽きっぽいからすぐ帰ってくるだろ。一回やりたいようにやらせてみるか。電気屋はそのあとでも遅くはないし』って感じで許してくれました」

次のページへ (2/3) 昨年父が他界、自身が親となった今あらためて感じる両親への感謝
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