骨折しても闘いながら治す 令和に現れた昭和流のプロレスラー デスマッチヤンキー・宮本裕向の心意気

「不死身の宮本だ!!」とデスマッチヤンキー・宮本裕向が胸を張った。

珍しく不安気な表情の宮本裕向【写真:柴田惣一】
珍しく不安気な表情の宮本裕向【写真:柴田惣一】

「俺たちは日進月歩で進化している」とぶち上げる

「不死身の宮本だ!!」とデスマッチヤンキー・宮本裕向が胸を張った。

 大日本プロレスの5・17東京・後楽園ホールでニールキックを放った際に、右足に激痛を感じた宮本。最後まで闘い抜いたものの、翌18日には病院を訪れると、診断は右足首腓骨骨折。全治3か月と通告されてしまった。

 実は昨年11月にも同じ個所を負傷していた。今回のレントゲン写真には、プレートと折れた骨がくっきりと映っている。前回も驚異的な回復力を発揮し、たった2か月で復帰しているが、今回はさらなる荒療治でいくという。

「闘いながら治す。なぜなら、俺たちは超人だからだ!」との宣言である。実際に23日の木村花メモリアル「バグース!」(後楽園ホール)大会に予定通り参戦。その後、29日の大日本プロレス・名古屋ダイヤモンドホール大会まで5日間、休めるとあって「全く、問題ない。なぜなら、俺たちは日進月歩で進化しているからだ!」と、またまた声高にぶち上げた。

 けがをしても闘いながら治す。それはまるで昭和のプロレスラーだ。「当時はけがをしたなんて口に出せる雰囲気ではなかった」と、何人ものレジェンドレスラーたちが口をそろえている。「無事これ名馬」ではないが、プロはけがをしないという前提があったような時代、多少のけがは、ひた隠しにした。試合出場を続けながら民間療法を駆使し、自然治癒力を信じてファイト。気合で治してしまうのが常だった。精神論、根性論の世界だった。

 令和の時代とあって、宮本は「デスマッチをやってきたことで、体がどんどん進化している。痛みに耐える体、回復力、修復力などこれまでの医学の常識を覆す自己治癒力が身についている。だから早く治るんだ。なぜなら、俺たちはデスマッチ新人類だからだ!」と自説を訴える。その鼻息は荒くなる一方だ。

 ヤンキー二丁拳銃の盟友・木高イサミもアゴを骨折したときに埋められたプレートを固定するネジが激闘で外れてしまい、4月にプレートを除去する手術を受けた。それでも、最低限の欠場のみでスピード復活を果たしたばかり。「俺たちの体は新たなステージに進んでいる」という宮本の言葉にうなずくしかない。

 もちろん痛みはあるし、西洋医学だけでなく、ハリ治療など東洋医学など、できるだけの治療に取り組んでいる。「どこに行っても、驚かれる。俺たちの体は普通じゃないって」と得意げだ。

「7、8年前に右足の骨を折ったときよりも年を食っているのに、治りは今の方が早い。これは進化でしょう」と強気な姿勢に揺るぎは微塵もない。

 もちろん不屈の精神力があればこそ。数々のデスマッチの修羅場をくぐり抜けてきて、肝が据わっている。もうダメだと思ったらダメなんだ、まだまだ闘い足りない、もっともっとデスマッチがしたいんだ! けがをしてなお、闘志はさらに燃え上がるばかり。

「不死身の宮本だ!」続けて、ヤンキー二丁拳銃の決め台詞「なぜなら、俺たちは強い!」という雄叫びが響き渡った。

次のページへ (2/2) 【写真】宮本裕向の右足首のレントゲン写真 腓骨が再び折れてしまった
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