ジムニー博物館創設・75歳の仰天人生 「億単位?」私財投入、50歳でパリダカ初参加
今も寝ていると、「『あの部品をこうすればもっとよくなる』と思い立って起きる」
いつしか車ファンから「ジムニーマイスター」の称号が。「ジムニーのマニアの人たちに喜んでもらいたい。いいものを作って、レースで走るのは楽しくて。そうやっている中で、いつか建てたいと思い始めたんだよ」。その夢が、ミュージアムだった。
地元・藤沢で土地を探し、私財を投じて建設。自身のコレクションを中心とし、ジムニーの魅力が最大限に伝わるよう内装や展示にこだわった。2018年にオープン。「家内と2人での管理・運営は大変だけど、ジムニークラブという愛好会の皆さんにも手伝ってもらってます。デカいものを作りすぎちゃったね」と笑う。
展示カーには熱意と遊び心が詰まっている。例えば、「ジムニー LJ81」は、オーストラリアで見かけたトラック型のジムニーに興味を持ち、知人に依頼して入手した。しかし、中身は穴が開いていたり、さびていたり。「得意なんだよ」という鉄板の溶接で部品を作り直し、エンジンは日本製のものに取り換え。真っ赤な車体を、真っ黄色に染め上げ、約半年かけて03年にレストアを完了させた。荷台に趣味のロードバイク(自転車)を乗せ、目を引く愛車で北海道旅行にも出かけたことがあるという。
歴史館はどれぐらいの費用がかかったのか。細かくは計算していないというが、「金額面だと、億単位? ぐらいかかったのかな。でも、本当はジムニーで坂道を走れるコースも作りたかったんだよね。金銭面で難しいところがあったんだ」と明かしてくれた。
生来のものづくり好き。今になっても情熱が冷めることはなく、「夜寝ていると、『あの部品をこうすればもっとよくなる』と思い立って起きる。よく夢に出てくるんだよ」という。そんなマイスターにとって、ジムニーとは何か。問いかけてみた。「なんでか分からないけど、飽きないんだよ。いつでも新鮮な思いで楽しめるんだな、これが」。子どものように目を輝かせた。
□尾上茂(おのうえ・しげる)、1947年、神奈川県藤沢市生まれ。自動車専門学校を卒業後、22歳の時に自動車の整備・販売会社を設立。82年から主にジムニー、エスクードで国内外のラリーレースに参加。97年に初参加のパリダカは3回完走を誇る。2018年に開館した「ジムニー歴史館」館長のほか、ジムニー専門店「アピオ株式会社」会長を務める。