ゴリ、初小説でぶつかった壁「伝える道具がない」 ピース又吉に「教え請いたかった」
「未来を担う子どもたちが、平和について話し合うきっかけになれば」
主人公のヤカラは、ウミンチュ(海人=漁業など海の仕事に従事している人)の町で生まれた10歳の少年だ。
「勇気があり、誰からも好かれるヤカラは僕の憧れです。僕はビビりな性格でしたが、だからこそ、ハングリーさを保てていたのだと思います。いつも誰かを『うらやましい』と思い、『もっと!』と渇望していました。クラスの人気者にも、クラスで一番足が速いやつにもなれなかった。でも、40年たった今は、当時、速かったサッカー部の同期よりも、オレの方が速く走ることができます。だって、みんなビール腹になっちゃったので(笑)」
照屋が監督、脚本の映画「洗骨」は、国内外で高く評価された。だが、初小説の執筆は大苦戦。完成までに2年を要したという。
「(ガレッジセールの)ネタ作りでコントを書いたり、映画の脚本も手掛けていたので、書けると思って机に向かいましたが、これが進まない。セリフだけ書いていれば、後は役者にゆだねる部分もあった脚本と違い、小説では、その全てを文字で表現しなくてはいけない。怒るという描写も、握りこぶしを作って我慢しているのか、爆発しているのか。無数に表現があって、それを読者に伝えるための道具を持っていないことに気が付いて愕然(がくぜん)としました。ピースの又吉(直樹)先生に『教えを請いたい!』と本当に思いました」
話し言葉には慣れていても、読者に情景を伝えるための表現に限界があった。そんな照屋に編集者は、参考になりそうな児童書を送るなどして鼓舞したという。
「『なかったことにしましょう』と言ってくれないかな……と思った時期もありましたが、時々、『ここの描写はいい』とほめてくれました。でも、その後は延々とダメ出し。アメが一粒。ムチ30発という感じでやり取りを続けました。コロナ禍でゆっくり打ち込む時間があったこともよかったと思います。でも、本音を言えば心が折れそうでした」
くじけそうになったときに浮かんだのは、未来を創っていく子どもたちのことだった。
「アメリカの統治でたくましく生きる沖縄の人たちの姿は、今、この瞬間に困難な状況にある人の姿と重なります。未来を担う子どもたちが、平和について話し合うきっかけになれば」
照屋が苦労して生み出した作品。児童向けの小説だが、大人たちへのメッセージも詰まっている。
□照屋年之(てるや・としゆき)1972(昭47)年5月22日、沖縄県生まれ。中学時代の同級生、川田広樹と95年にお笑いコンビ「ガレッジセール」を結成。ボケ担当で、愛称は「ゴリ」。97年、日本テレビ系「ロンブー荘青春記」でレギュラーを務めてブレーク。俳優としても活動している。2009年には、映画「南の島のフリムン」の監督・脚本を担当。照屋年之の名義で監督を務め、18年に公開された映画「洗骨」は「第40回モスクワ国際映画祭」でアウト・オブ・コンペティション部門に出品された。趣味は、歩くこと。173センチ、血液型A。