ゴリ、初小説でぶつかった壁「伝える道具がない」 ピース又吉に「教え請いたかった」

お笑い芸人・ガレッジセールのゴリが、小説家デビューした。本名・照屋年之の名義で上梓したのは故郷・沖縄が舞台の「海ヤカラ」(ポプラ社刊)。子ども時代は何をしても1番になれなかった照屋は、終戦後も米国に支配されていた沖縄でたくましく生きる10歳の少年(主人公)に、自身の理想を重ねたという。照屋は同作が、子どもたちが平和について話し合うきっかけになればと願っている。

2年をかけて沖縄を舞台にした小説を書き上げたゴリ【写真:小黒冴夏】
2年をかけて沖縄を舞台にした小説を書き上げたゴリ【写真:小黒冴夏】

15日が本土返還50年の節目「平和について考えるきっかけに」

 お笑い芸人・ガレッジセールのゴリが、小説家デビューした。本名・照屋年之の名義で上梓したのは故郷・沖縄が舞台の「海ヤカラ」(ポプラ社刊)。子ども時代は何をしても1番になれなかった照屋は、終戦後も米国に支配されていた沖縄でたくましく生きる10歳の少年(主人公)に、自身の理想を重ねたという。照屋は同作が、子どもたちが平和について話し合うきっかけになればと願っている。(取材・文=西村綾乃)

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 太平洋戦争末期の1945年3月下旬に始まった米軍による沖縄への攻撃では、県民の4人に1人にあたる9万人以上が命を落とした。照屋は言った。

「僕は那覇市出身なのですが、沖縄戦については、小・中学生の時に学ぶ機会がありました。動員された元ひめゆり学徒の方に話を聞いたり、糸満市にある『ひめゆり平和祈念資料館』で遺品や手紙を見学しました。住民や日本兵が避難した壕(ガマ)に行ったこともあります。ガマに米軍が火炎放射器を向けた際、中から真っ黒に焦げた人間が出てきたと先生に聞いたときは、『怖い』と感じました」

 同年8月15日に終戦。だが、沖縄は米国に統治されたままで、通貨はドル、左ハンドルの車は右側通行。本土への渡航はパスポートと渡航証明書が必要だった。69年の日米首脳会談を経て、71年に両国が沖縄返還協定を締結。そして、戦後27年がたった72年5月15日、沖縄は日本に復帰した。

「僕は沖縄が日本に返還された1週間後の5月22日に生まれました。1972年に生まれた子どもは『復帰っ子』と呼ばれています。2022年は沖縄返還から50年、僕自身も50歳を迎える節目の年です。そう思っていた一昨年、『アメリカ統治下だった沖縄を舞台にした話を児童向けに書いてみませんか』とポプラ社の方に声を掛けていただきました。僕自身はアメリカに統治されていた沖縄を知らないのですが、この機会に調べてみようと取材を始めました」

 照屋が、「海ヤカラ」の舞台として選んだ糸満市は、沖縄戦の際に最も激しい戦火に見舞われた。

「統治下の生活がどのようなものだったか、僕は知りません。当時を知る親世代の方々に取材を続ける中で、悲しい記憶よりも、過酷な状況下にあっても前を向いて生きているウチナーンチュ(沖縄人)の姿を書きたいと思いました」

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