【週末は女子プロレス#48】声優目指して上京、役作りでプロレスデビュー “デスマッチ狂”世羅りさが誕生した理由
デスマッチ&ハードコアをテーマとする女子プロレスラーのユニット、プロミネンスが正式始動。4月24日、東京・新木場1st RINGにて旗揚げ戦を開催し、超満員の観衆を動員した。リーダーの世羅りさは昨年末、4選手を引き連れてアイスリボンを退団。他団体参戦や3度のプレ旗揚げ戦を経て、理想の闘いを追求する場を手に入れた形である。
平成極道コンビのデスマッチを観戦しプロレスのとりこに
デスマッチ&ハードコアをテーマとする女子プロレスラーのユニット、プロミネンスが正式始動。4月24日、東京・新木場1st RINGにて旗揚げ戦を開催し、超満員の観衆を動員した。リーダーの世羅りさは昨年末、4選手を引き連れてアイスリボンを退団。他団体参戦や3度のプレ旗揚げ戦を経て、理想の闘いを追求する場を手に入れた形である。
そもそも世羅はどうしてデスマッチに固執するようになったのか。本来、彼女は声優を目指して広島県から上京。専門学校に通い、タレント事務所に入所した。そこで声がかかったのが、ある映画のオーディションだった。その作品とは窪田将治監督の「太陽からプランチャ」。2009年劇場公開の「スリーカウント」(藤本つかさ、志田光、松本都がこの作品からデビュー)に続き、窪田監督が女子プロレスを題材とした映画だった。
「オーディションでプロレスラーデビューが最低条件と言われて、プロレスってなんだ? ってところから始まった感じですね。私、それまでプロレスって全然知らなかったんです」
役をつかむためにトレーニングを積み、プロレスラーとしてデビュー、出身地・世羅町にちなんだリングネームもついた。映画ではプロレスラーのSareee(現サレイ=WWE)と共演したのだが、なぜか世羅にはプロレスのシーンがなかったという。
「(映画では)プロレスしてないです。なんで? と思ったんですけど(笑)。それまでは、マットで前転もできないくらい運動音痴だったんですよ。でも練習を続けるうちに、できなかったことがどんどんできていく過程が楽しくて。痛かったけどデビュー戦もすごく楽しかったですね。こんなに楽しいプロレスってすてきだなって思って、プロレス続けました」
その後しばらくして、世羅は大日本の後楽園ホール大会を観戦する。仕事の合間に見た試合が、その後の人生を決めることとなろうとは、そのときは思いもしなかった。
「(アイスリボンの佐藤肇)社長に同行させていただいて、会場にチケットを売りに行ったんです。『試合中は試合見に行ってもいいよ』とおっしゃっていただいたので、じゃあちょっと見てきますと場内に入ったんですね。そのときやっていたのが平成極道コンビ(星野勘九郎&稲葉雅人)の蛍光灯デスマッチ。この試合にすごく感銘を受けまして、私がたどり着くべきはああいう試合だと思い、そこからハマりました」
デスマッチのとりことなった世羅は、見るだけにとどまらず、自分でも凶器を使うような激しい試合をしたいと考えるようになる。しかし、アイスリボンは「プロレスでハッピー」がキャッチフレーズの団体だ。当然、激しい抵抗が待っていた。
「一介の小娘がなに言ってるんだみたいな感じで、大反対、大ブ―イング、大批判。ちょっと心が折れそうになりました……」
それでも彼女はデスマッチ、ハードコアの姿勢を貫いた。実現しても納得いかなければ、ネクストを組む。団体内での実現にとどまらず、デスマッチをやるためプロデュース興行まで開催した。この熱意、ホンモノである。
「私は純粋にハードコアな試合がしたかったのに、最初は変なテーマをつけられて納得いかなかったんですよ。その試合(15年3・29大阪、宮本裕向&木高イサミ(高の正式表記ははしごだか)組VS成宮真希&世羅組)の後、5月(4日)の横浜でハードコアルールの試合(宮本&木高&成宮組vs世羅&星野&稲葉組)をやりました。そこでやっと感情の赴くままに闘えた感じがして、(やりたいプロレスが)やっと始まったと思えたんですね」
試合後、世羅は蛍光灯デスマッチ実現を訴える。が、女子のデスマッチはまだまだ認められず、大炎上。それでも彼女は、彼女の信念を貫き続けた。
「最初は見たくないとの声も多かったですけど、私ってそういうのが力に代わるタイプなので、むしろ燃え上がりましたね。やってやるぞって。自分の信念を貫いていくと、賛同してくれる人が集まってくるんですよ。心を開いてくれる人が多くなったような気がします」