パッション屋良、20キロ減ダイエット成功で見つけた新たな道 沖縄での現在と次なる野望

パーソナルトレーナーとして活動するパッション屋良(右)
パーソナルトレーナーとして活動するパッション屋良(右)

「お笑い芸人という肩書ではなく、“パッション屋良”が何かやっている」

 個別での指導ということもあり、ダイレクトにお客さんの変化を感じ取ることができる。「お笑いとは違う形での充実感は得られましたよ」と満足げな表情を浮かべる。

 また、1度は体育教師を志ざしていたこともあり、人に何かを教えることは“天職”だったと言えるだろう。トレーニングする生徒からは「先生」と呼ばれる毎日が訪れた。

「どこまでスピリチュアル的なことを信じるかということにもなるのですが、(ブレーク当時に)たまたま気分転換で占いに行ったんです。そこで。『屋良さんはたぶん、沖縄に帰って先生って呼ばれる仕事しますよ』と。当時は『なに言ってるんだろう? 今、イケイケなのになんで沖縄帰るの?』って思っていたんです。でも、本当に数年後には沖縄に帰って“先生”をやっていたので『面白いな、導かれたのかな』って感じですね。100%信じているわけではないですけど、そういうこともあるんだな、と」

 今後は事業拡大も視野に入れている。「人口が少ない場所でスタートして、なんとかやり続けることができたので、そういったスタイルで都内で勝負していくのもアリなんじゃないかなと思っています。それに向けて、まずは(沖縄)県内で何店舗か出すことができたら、いろんな地域でも勝負してみたいなと考えています。そういった意味でも東京の土地勘はあるので、23区は無理でも都心部から離れた場所とかでできたらいいなとは考えています。東京に限らず福岡や大阪で出せたらいいなという夢はもちろんあるんですけど、まずは地盤を固めなきゃいけないですね」

 さらに今後の野望も明かす。「いろいろありますけど、1番実現したらすてきだなと思っていることが、僕のジムで扱っている『TYTAX』というポーランドで作られているフィットネスマシンの魅力を伝えることです。まだ日本に数台しかなくて、僕が持っているタイプのマシンは日本に1台しかないんです。今までやったことない筋トレができるので、それがすごく面白くて、僕にとって初めてスーパーファミコンを触ったような衝撃なんです。500種類ぐらいのトレーニングができるマシンで、これをうまく活用できないかなと考えています。YouTubeなどで紹介して、『これ欲しい方はパッション屋良まで連絡ください』みたいな。そういう販売業者のような仕事をしてみたいって思いますね」

 まだまだ、やりたいことはたくさんある。芸人としての“東京再進出”も諦めていない。

「かっこいい言い方すると“パッション屋良”という職業って感覚です。ジムやって、イベント出て、テレビでふざけてます、みたいな。お笑い芸人という肩書ではなく、“パッション屋良”が何かやってます、みたいな感じの考え方になってます。大学の教授になりますみたいなこともあるかもしれないですからね(笑)。自分が興味を持てて、全力を注げるようなことだったら、ジャンルはこだわる必要がないのかなって思っていたりします」

 今後どういった形で“パッション屋良”という名前を見ることになるのか。今後の展開に注目だ。

□パッション屋良(本名:屋良朝苗)1976年7月23日、沖縄・名護出身。2000年にコンビ「サミット75」を結成。04年からピン芸人・パッション屋良としての活動をスタートし、06年頃に大ブレークを果たした。現在は地元・沖縄を拠点に「Passion’s Fitness PPP」を経営している。夢は70歳になってからのマスターズ陸上での金メダル獲得。

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