パッション屋良、20キロ減ダイエット成功で見つけた新たな道 沖縄での現在と次なる野望

「んー!」の叫び声とともに胸を強打するギャグで大ブレークしてから約15年、パッション屋良(45)は地元・沖縄でパーソナルトレーニングジム「Passion’s Fitness PPP」を経営している。形を変えながらも人を喜ばせるという仕事を続ける屋良にジム経営をスタートさせた理由を明かしてもらった。

「Passion’s Fitness PPP」を経営するパッション屋良
「Passion’s Fitness PPP」を経営するパッション屋良

「先生」へと導いた“占い師”の予言

「んー!」の叫び声とともに胸を強打するギャグで大ブレークしてから約15年、パッション屋良(45)は地元・沖縄でパーソナルトレーニングジム「Passion’s Fitness PPP」を経営している。形を変えながらも人を喜ばせるという仕事を続ける屋良にジム経営をスタートさせた理由を明かしてもらった。(取材・文=中村彰洋)

 幼い頃に体育教師に憧れ、その夢をかなえるべく、大学進学を機に上京。無事に卒業し、教員免許を取得。しかし、教員の道に進むことはなく、在学中に芽生えたお笑い芸人の夢へとかじを切った。

 コンビ時代などを経て、ピン芸人“パッション屋良”としてデビュー。そこからはトントン拍子に売れっ子への道を駆け上がった。当時を振り返り、「THE・芸能人みたいな生活も多少はさせてもらいましたね」と懐かしむ。

 しかし、絶頂期は長くは続かず、2011年には仕事の減少や子育ての環境を理由に地元・沖縄へ拠点を移した。「都落ちのような形で戻るのはあまり理想的ではない」と思い悩んだが、事務所の先輩・出川哲朗の「沖縄で1番になればいんじゃないの」の一言が背中を押した。

 その後は、沖縄を中心に芸能仕事も続けつつ「オフィスパッション」を設立。マネジメント業務にも挑戦した。しかし、これが“どん底”の始まりだった。信頼していた知人に資金を使い込まれたり、持ち逃げされたりと気付けば「借金を1000万円以上抱えていた」と吐露した。

 さらに、沖縄に戻ったことで食事量が増加し、運動量は減少。その結果、体重は100キロオーバーと“激太り”。「ストレス太りって書かれていたりはしましたけど、普通にただ食べていただけですね(笑)」と原因を明かす。そんなどうしようもない状況の中で出会ったのがパーソナルトレーニングだった。

「知り合いの紹介でパーソナルジムのモニターという形でやってみたら、食事と運動で20キロ近く減量することができました。これは面白いなと思い、始めはバイト感覚でジムで働き始めたのがきっかけです。1年ぐらいパーソナルトレーナーとして活動していく中でいろいろやりたいことが広がってきたんです。それで、自分でジムを経営するほうがいいかなと思い、17年に独立して、今の『Passion’s Fitness PPP』を起ち上げました」

 決して人口が多いとは言えない名護での開業。周囲からは「なんで名護なの?」という声もあったという。さらに当時は、まだパーソナルトレーニングという言葉が浸透していなかったこともあり、「集客の部分での苦労はありました」と明かした。

 ジムでは、妻の綾乃さんもトレーナーとして働いている。「出産をしてから、ぶくぶく太っていた人だったので、僕がトレーナーを始めたことをきっかけに、モニター的な感じで『痩せてみる?』って誘いました。始めたらしっかり結果を出したので、『だったら2人でできるんじゃないの?』と。独立しようと思った理由にもなりました」。

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