早見優が明かす「花の82年組」への思いとは 「夏色のナンシー」で激変した周囲の評価
アイドルを卒業しなきゃいけない
それから19、20歳になった頃、マネジャーさんから「これからレコードを出しても売れないから、アイドルを卒業しなきゃいけない」と言われました。「え? 私はもう歌えないんだ……」とすごくショックを受けました。でもこうやって今も歌い続けていられるのは、ジャズシンガーだった父親の存在があったことも大きいんです。
両親は私が3歳の頃に離婚して母と祖母と暮らしていたので、父とは数えるくらいしか会っていませんでしたが、デビューが決まって日本に戻るとひんぱんに会うようになりました。父にはデビューからずっと歌のレッスンを受けていたんです。
あるとき「これから歌えなくなってしまう」と落ち込んでいた私に父は次のような言葉をかけてくれました。
「レコードを出すだけが歌手じゃないんだ。歌い続けたいと思ったらどこでも歌えるし、優の歌を聞きたいというお客さんが1人でもいたら歌い続けなさい」
父の言葉がきっかけで、ジャズを教わったり、いろんなタイプの歌に挑戦してきました。
父が亡くなって13年がたちましたが、あのときの父の言葉のおかげで今も歌手として歌い続けていられるんだと思っています。
□早見優(はやみ・ゆう)3歳から14歳までをグアム、ハワイで育つ。14歳でスカウトされ82年「急いで!初恋」で歌手デビュー。「夏色のナンシー」や「PASSION」などのヒット曲がある。以後バイリンガルと国際感覚を生かしTV、舞台などで活躍。2022年、デビュー40周年のアニバーサリーイヤーを記念してDVD+CD「早見優/LIVE 1984~1985」をリリース。
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【写真】思い出のアルバム「LANAI」の前で笑顔を浮かべた早見優の姿