“女帝”寺山日葵の引退を後押しした母の言葉「親孝行はたくさんしてもらった」
引退後は格闘技に全く関わらない選択肢もあった
頭の中に引退の2文字がよぎったのは手術よりも前だった。「小林愛三選手との9月の試合後に『次の目標は?』と聞かれ、上手く返せない自分がいた。その時点で選手としてやるべきじゃないんだって」。
真面目な性格がうかがえる。ベルトを返上して復帰という道は選ばなかった。「いつ復帰するのかも分からない状況で、闘争心もない状態でやろうかやらないかを自分のわがままで考えている間にも、応援してくださる方がいる」。
続けて「自分のわがままで、ずっと期待をさせてしまうのはすごく申し訳ない。だったらパッとやめてまた別の形で携われば、私を応援してくださった人が、他の選手を応援してくださるようになる」と言い切った。
それでも引退を決めるのは容易なことではなかった。寺山は7歳から空手をスタートし、人生の半分以上を格闘技とともに過ごしていた。「『人より突出していて誇れるものってなんですか?』と聞かれたときにそれは自分にとって格闘技だった」。格闘家であることが誇りだった。
14年間連れ添ってきたからこそ別れに不安があった。「格闘技がなくなったときに自信は持てなかった。“格闘家の寺山日葵”とはみんなつながってくれるけれど、それがなくなった自分に同じように接してくれるのかな」と表情は曇る。
だが“寺山日葵”の1番の理解者であり、はじめてのファンでもある両親は背中を押してくれた。
「母親は察していました。『確かに私たちは好きだったけれど、親孝行はたくさんしてもらったし、誰とやりたいって今後目標あるの? 答えられないってことはそれが答え。だったら辞めて好きな風に生きたらいいんじゃない? 私たちが続けてほしいって言う理由で続けるのはもういいよ』」
手術後のリハビリ期間は今後について考える時間になった。一時は格闘技から完全に離れることも頭をよぎった。選択肢にあった。「事務の仕事、普通のOLとか、栄養士の資格を持っているので、給食センターや病院に栄養士として就職するのは考えていました」と告白する。
一方で1つの思いが爆発した。「人生の半分以上を格闘技やっていて格闘技でやってきたことはきっと無駄じゃない。選手としてやってきたことが、選手以外で生かせることもある。結局格闘技が好きだから離れられなかったんですよね」と笑みをこぼした。
まだ21歳、可能性は無限大だ。活躍の場は変わるが、格闘技の探究者である姿勢は変わらない。今後どのような形で“カムバック“してくれるのか期待が高まる。
□「RISE 157」が4月24日、東京・後楽園ホールにて開催される。併せて寺山日葵の引退セレモニーも行われる。