あなたの“推し”実況アナ&解説者コンビは? プロレスを彩る名せりふと絶妙なやり取り

コロナ禍で会場観戦がままならず、テレビ中継、配信番組などスクリーンを通してプロレスを楽しんだ人も多いだろう。となると、激闘に加え、それを伝える実況アナウンサー、解説者の言葉も楽しむことになる。

名実況で知られる古舘伊知郎アナ(左)と山崎一夫氏。この2人の組み合わせも見てみたかった【写真:柴田惣一】
名実況で知られる古舘伊知郎アナ(左)と山崎一夫氏。この2人の組み合わせも見てみたかった【写真:柴田惣一】

毎週金曜日午後8時更新「柴田惣一のプロレスワンダーランド」【連載vol.90】

 コロナ禍で会場観戦がままならず、テレビ中継、配信番組などスクリーンを通してプロレスを楽しんだ人も多いだろう。となると、激闘に加え、それを伝える実況アナウンサー、解説者の言葉も楽しむことになる。

 これまでも古舘伊知郎アナウンサーと山本小鉄さんなど、名コンビが数多く誕生しているが、1970、80年代に全日本プロレス中継でコンビを組んでいた日テレの倉持隆夫アナと山田隆さんを思い出す人もいるはず。2人の息の合った絶妙な掛け合いが、今でもファンの間で語り草だ。

「テキサスブロンコ! テリー・ファンク! テリー・ファンク! 山田さんはどうご覧になりますか?」

「テキサスブロンコですねぇ。テリー・ファンクですねぇ」

「山田さんご指摘のように、テキサスブロンコ、テリー・ファンクであります」

 など、リズムに乗ったオウム返しのようなやり取りで、インパクトを残し、ファンの脳裏に深く刻みつけられている。

 大相撲から全日本入りした石川孝士(敬士、隆士)に対するある日のコメントも忘れられない。日大相撲部時代にアマチュア横綱となり大相撲入り。大ノ海の四股名で西前頭4枚目まで出世し、プロレスラーに転身後も活躍していた石川に……。

「あー! 石川負けた! 石川が負けました! 山田さんは、この試合の敗因をどうご覧になりますか?」

「石川がモタモタしているから、負けたんですよ」

「山田さんご指摘のように、石川がモタモタしているから、負けたのであります!」

 このやり取りを後日、石川に直撃したところ「ああ、そうだったかもね。自分がモタモタしていたから、負けたのかもね」と苦笑い。怒るでもなく、穏やかにほほ笑みを浮かべていた。

 元より人格者として知られていた石川。いつも控え目で、ニコニコと柔和な笑顔を崩さない。腰も低くソフトな物言いで人当たりも良かった。

「当時はずいぶんモテた、と聞きましたよ」とぶつけると「うーん、どうだったかな。もう忘れちゃったよ」と照れたようにニッコリ。否定しないところに、人生の機微を感じさせたものだ。

「石川さんは、優しくて温かくてホッと安心するお人柄。“ほっこりする”という言葉が最近よく使われますが、その度に石川さんを思い出します。お地蔵様のようで、手を合わせたくなる」と、評した人もいたが、まさにその通り。

 今までの人生で、嫌なことや辛いこともたくさん経験してきただろうに、あらゆる出来事を否定せずに、自分の中で浄化し、そして達観したという感じがする。

「海容」という言葉がある。大きな海のような寛大な心で、すべてを受け容れるという意味だが、実際には怒りや悲しみが先立ち、なかなかそこまでの境地には達しないものだ。

 石川と話していると海容という言葉が、いつも頭に浮かぶ。その柔和な表情で、きっと今、穏やかで素敵な人生を送っているのだろうと思う。

 石川の名誉のために付け加えれば、決していつもモタモタしていたわけではない。パワーみなぎる相撲タックル、スピードあふれるギロチンドロップ、決め技となるスコーピオンデスロックの切れ味は鋭かった。

 1977年にプロレスラーに転身し、海外マット、全日本、SWS、WAR、東京プロレスなどで活躍。98年に現役引退後も実業家として活動している。来年には、古希(70歳)を迎える石川。いつまでもお元気でいてほしい。

 皆さんにも実況・解説で盛り上がったことがあるはず。プロレスの楽しみ方はいくらでもある。あなたの推しの実況アナ、解説者は誰だろうか?

次のページへ (2/2) 【写真】人格者として知られた石川孝志
1 2
あなたの“気になる”を教えてください