【週末は女子プロレス#44】バスガイドから上京でダンス講師、プロレスの道へ 異色選手の現在地
SAKIを慕う気持ちが日に日に増していった
これはアクトレスガールズ全員がぶち当たる問題でもあった。プロレスとして認められるには外部との交流も必要。他団体との絡みが実力を知るリトマス試験紙にもなるからだ。だからこそ、関係者、ファンから舐められたくないと選手たちは必死に努力した。その中で生き残った選手たちが次第に外部からの評価を高めていく。が、清水は同期(高瀬みゆき、関口翔、青野未来、有田ひめか=現ひめか)からも遅れた存在となり、肩を痛めて19年9月から翌年8月まで約1年間の欠場を余儀なくされてしまった。それでも、けがを機に引退しようとの考えは一切なかったという。
「欠場中はホントにもどかしかったです。下からの追い上げもすごくて、冷や冷やしてました。ただ、引退を考えたことはなかったですね。なんでだろう? プロレスが好きだったし、負けず嫌いだからかな」
また、清水にはSAKIという心の支えがあったことも大きい。SAKIは芸能界ではなくプロレス界からアクトレスガールズにやってきた、団体内では“異色”の存在だった。
「アクトレスに来られる前に一度対戦させていただいてるんですが(17年7・8全日本でのSAKI&高瀬組VS日向小陽&清水組)、そのときにカッコいい選手だなと思って。次、気づいたら(17年12・24横浜)アクトレスのリング上で『入団します!』とおっしゃってて、ホントにビックリしました。そういうのって代表とかから事前に聞いたりするものじゃない、リングの上で知るものなんだって(苦笑)」
アクトレスガールズが2大ブランド制になったとき、清水はSAKI率いるカラーズに分配された。同じブランドに所属したことで、SAKIを慕う気持ちが日に日に増していった。
「SAKIさんって、芯をとらえたこと、確かにそうだなって納得するようなことをまっすぐ伝える方なんですよ。選手たちに対する思いが、私にはストレートに伝わってくるんです」
しかし、アクトレスガールズはカラーズが発足3年を迎えようというところで、プロレス団体からの撤退を選んだ。清水は言う。「私は今のメンバーでアクトレスを大きくしたい。アクトレスに愛を持っていました。だけど、アクトレスガールズはプロレスから離れたい。だったら私は今後どうしたらいいんだろうと悩みましたね。いまのメンバーがいて、カラーズがあって、SAKIさんがいる。自分の中でどれが一番大きいかと考えたときに、私が好きなものはプロレスであって演技ではない。私のやりたいと思うのはSAKIさんのプロレスだと。そこが続けた理由ですね」
このとき、清水はwaveのタッグ王座を保持していた。SAKIとともに巻いたこのベルトが、プロレスキャリア初の勲章だった。
「ベルトがなければアクトレスに残る選択肢もあったのかもしれません。でもベルトが自分のもとにあって、持ち続けたいとの気持ちもあった。だからプロレス界に残ったのもあるし、これってプロレス界でやっていきなさいとのお告げだったのかなと、今では思っていますね」
waveタッグ王座はカラーズ旗揚げ戦の翌日に陥落した。が、そこまでに3度の防衛に成功。なかでも野崎渚(wave)&彩羽匠(マーベラス)という団体のエースコンビからの防衛はこれ以上ない自信につながった。3・27大阪では仕切り直しとばかりにアイスリボンのタッグ王座をSAKIとともに戴冠。アイスリボン4・17川口で初防衛に成功すれば、王者としてカラーズ第2弾興行を迎えられるのだ。
「カラーズ、楽しくて楽しくて仕方がない(笑)。前のカラーズの色を残しつつ、前回の興行では川畑梨瑚、堀田(祐美子)さんと久しぶりに会えました。次(4・22)は尾崎妹加とのシングルだし、カラーズってたくさんの人とつなげていける場所なのかなって思いますね」
元アクトレスガールズの尾崎には思うところがあるようだが、これもまたプロレスを続けているからこその再会であり、特別なカード。では、清水にとってプロレスとはなんなのだろうか。
「プロレスって一言にまとめられてるけど、毎試合毎試合違う闘いのドラマがありますよね。まるで、ひとつの映画のような気がします。(ゴングの)始まりから終わりまでが一本の作品で、自分が主人公としてリングに立つ。その中でやっぱりプロレスラーって特別で、一人ひとりの色も違うし、同じことって起きない。限りない続き物でもあり、どこからでも見られる。途中でやめられないです。いつまで続けるんだろう(笑)」
※尾崎妹加の「崎」の正式表記はたつさき