【週末は女子プロレス#44】バスガイドから上京でダンス講師、プロレスの道へ 異色選手の現在地

昨年いっぱいでプロレス団体としての活動を停止したアクトレスガールズ。Beginning(ビギニング)とColor's(カラーズ)の2大ブランドは解散し、選手たちは大きく分けてプロレスラーを続ける者とエンタメ興行としてのアクトレスガールズに残留する者の二派となった。プロレスラー続行組も団体所属やフリーなど、それぞれの道を選んだが、カラーズ所属選手でのプロレス続行組4人(SAKI、清水ひかり、櫻井裕子、網倉理奈)はカラーズを引き継ぐユニットを結成。新生COLOR’S(カラーズ)として2月12日、東京・新木場1st RINGで旗揚げ興行を成功させ、4月22日(清水29回目の誕生日!)には同所での第2弾大会を開催する。今回は、カラーズのエースSAKIに続くナンバー2と期待される清水ひかりをフィーチャー。ユニークな経歴をたどりながら、彼女のプロレスに対する思いを紹介しよう。

ユニークな経歴のレスラー・清水ひかり【写真:新井宏】
ユニークな経歴のレスラー・清水ひかり【写真:新井宏】

ライブで知り合った仁科鋭美(引退)からプロレス観戦に誘われた

 昨年いっぱいでプロレス団体としての活動を停止したアクトレスガールズ。Beginning(ビギニング)とColor’s(カラーズ)の2大ブランドは解散し、選手たちは大きく分けてプロレスラーを続ける者とエンタメ興行としてのアクトレスガールズに残留する者の二派となった。プロレスラー続行組も団体所属やフリーなど、それぞれの道を選んだが、カラーズ所属選手でのプロレス続行組4人(SAKI、清水ひかり、櫻井裕子、網倉理奈)はカラーズを引き継ぐユニットを結成。新生COLOR’S(カラーズ)として2月12日、東京・新木場1st RINGで旗揚げ興行を成功させ、4月22日(清水29回目の誕生日!)には同所での第2弾大会を開催する。今回は、カラーズのエースSAKIに続くナンバー2と期待される清水ひかりをフィーチャー。ユニークな経歴をたどりながら、彼女のプロレスに対する思いを紹介しよう。

 愛媛県宇和島市出身の清水は歌手に憧れ、高校卒業後に上京するつもりだった。安室奈美恵や倖田來未のファンで、歌って踊れるダンスボーカリストを夢見ていたのだ。が、「まずは就職してほしい」という両親の願いからバスガイドの仕事を選ぶ。さすがに踊ることは無理としても、バスガイドとして車中で歌声を披露することはできたからだ。

「バスガイドは楽しかったですよ。楽しかったんですけど、やっぱり自分の夢を追いかけたくて、出てきちゃいましたね」

 上京後は、ライブハウスを転々とする。「歌わせてください」と直談判し、仕事を得ていたというのだから生半可なバイタリティーではない。その後、彼女はダンス講師として働き、同時にダンスボーカルユニットのリーダーとしても活動。だんだんと夢が現実に近づいていると実感していたのではなかろうか。

 そんな頃、ライブで知り合った仁科鋭美(引退)からプロレス観戦に誘われる。実際には観戦というよりも、「(プロレス)やってみない?」という勧誘の言葉だったのだろう。仁科は芸能との兼業をコンセプトとするアクトレスガールズのプロレスラーでもあり、清水とはライブのMCとして知り合ったのだ。それまでプロレスといってもバラエティー番組に出てくるときにしかレスラーを見ることはなく、「大きい人が闘う」くらいのイメージしか持っていなかったのだが…。

 2016年12月11日、アクトレスガールズの新木場大会で行われた「伊藤薫VS中野たむ」。この試合が、清水の運命を変える一大転機になった。

「アクトレスガールズ同士の試合が多かった中で、伊藤さんと中野たむさん(現スターダム)の試合がすごくて。伊藤さんといういかにもプロレスラーという方にボロボロにされながらも立ち向かっていく、たむさんの姿勢にすごく勇気づけられたんです。たむさんのカッコいい姿から、プロレスってこんなに人の心を動かすんだ、自分もやってみたい! と思ったんですね。あの試合が自分にとっての第一歩になりました」

 当時の中野はプロ10戦目、まだまだ新人の域にすぎなかったが、清水の記憶に残るファイトスタイルは現在につながるものがある。中野の闘いぶりに影響を受けた清水は、練習生として入門。デビュー前にも先輩選手についていき、さまざまな団体でセコンドについたりした。ここからさらにプロレスへの興味が増大。「いままで思ってたのとはちょっと違ったというか、可愛い人がたくさんいたんですよね。背丈も意外と小さかったりとか」。イメージが変わったプロレスは、自分にとって決して遠いものではないと、いい意味で親近感を覚えたようだ。

 そして迎えた17年3月5日のデビュー戦。相手はなんと、中野たむだった。「自分が憧れてたなんて、たむさんは知らなかったと思います。自分は自己主張ができないタイプだったんですけど、(坂口)代表が意をくんでカードを決めてくださったんだと思います」

 ライブ活動と並行させながら、プロレスラーにもなった清水。「アクトレス自体が兼業を押してくれるので、そこに関しては難しいとかはなかったんですけど、兼業することによって(ほかの)プロレスラーからはよく思われていなかった。私もそうだと思います。不器用だったし試合もボロボロで、プロレスラーとしてどうなんだよと思われていたと思いますね」。

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