家族にも心閉ざしたセクシー女優・戸田真琴が映画監督になったワケ「自分を愛してあげるため」
セクシー女優、文筆家として活躍する戸田真琴の初監督映画「永遠が通り過ぎていく」が4月1日から全国ロードショーされる。2023年1月をもって、セクシー女優引退を宣言している戸田に初映画監督を終えた今、何を思っているのか。振り返ってもらった。
初監督映画「永遠が通り過ぎていく」が4月1日から全国ロードショー
セクシー女優、文筆家として活躍する戸田真琴の初監督映画「永遠が通り過ぎていく」が4月1日から全国ロードショーされる。2023年1月をもって、セクシー女優引退を宣言している戸田に初映画監督を終えた今、何を思っているのか。振り返ってもらった。(取材・文=島田将斗)
映画「シン・ゴジラ」の映画評の衝撃は今も色あせることはない。連載コラムの執筆などにも挑戦している戸田はなぜ映画を撮る決断をしたのか。
「世間的には映画好きのセクシー女優という立ち位置でしたけれど、今のお仕事を始めるずっと前から、いつかは撮りたいと思っていました。仕事をやめてお金を貯めて、山にこもって撮るのかなみたいな。いつか映画にたどり着くのかなという希望はありました」。
今映画の制作は19年に「戸田真琴実験映画集プロジェクト」という名でスタートした。「アリアとマリア」「Blue Through」「M」の3本の短編で構成されている。3本に対して戸田は「完全な史実ではないが、心象風景として自分のこれまで見たことをなぞっている」と説明する。
制作のきっかけは2つある。1つはファンからの期待だ。「いちから自主映画として、応援してくれている方々に力を借りて、自分が撮るべきものを撮ろうという形で作ることになりました」と思い返す。もうひとつの大きな理由が大森靖子の楽曲「M」だ。
「『M』という曲についてずっと考えていて。この詩の主人公の人はどういう景色を見て生きていたのだろう。映像的な視点を付け足したくて、自分の視覚で改めてパッケージングしたいなと思いました」と経緯を明かした。
「世の中を生きていて見ている景色を映像として捉えていることが多い」と感じている戸田。同映画に出てくるせりふは独特な言い回しのものも多く、演者に対して世界観を伝えるのにも一苦労だった。
「対人コミュニケーションがすごく苦手で、友達とかとも心から話したことはほぼなかった。家族にも心を閉じて生きてきた」と自身の性格を打ち明ける。そういった環境で育ち得たものが現在の戸田を支えている“言葉”だった。
「撮影中は、自分の表現したいものがどういうものなのかを伝えるのが難しくて、何度も話し合う場面もありました。特に『このセリフはもっとこう』などと伝えるのに、演者さんが理解するための補助線を出すことが難しかった。負担の多い中やりきってくれた演者さんには感謝しかないです」と振り返る。
また「描くべき景色が先にあって、それを言語化するときに、美しさが損なわれるようなことを安直にあてはめないということをやってきました」とこだわりも教えてくれた。
2本目の短編「Blue Through」では、「撮り切れないもの」や「カットしなければならない部分」も多くあった。最終的な完成形が見えなくなることにも悩んだが、念願の映画は完成した。
作品の出来栄えを「自分の頭の中のビジョンがそのまま形になったというよりは、新しい別の納得いくアンサーを見せてもらった」と表現している。