盆栽に料理も、趣味も極める72歳藤原組長の今 とことんまで突き詰める達人人生の秘訣
「ゴッチさんは『いかに凄いか』を教えてくれるんだ」
――組長はゴッチ教室からそうやって学んだんですね。
「ゴッチさんは『いかに凄いか』を教えてくれるんだ。それを自分のモノにするためには、自分の頭で考え、色々と試してみないとな。力学的に解析したのは俺なんだよ。俺は工業高校なんだけど、一番、得意だったのは応用力学だった。あと機械工作。体育もな」
――考えて、器用で、運動神経も……組長の今につながる得意分野ですね。
「中学校で急に背が伸び始めて、骨の成長に筋肉が追いつかない時期があるだろ。そこで俺は16歳ぐらいから、ウエイト・トレーニングの本を手に入れて、筋力をつける方法も研究し始めた。チューブを引っ張り、道具も自分で作ったよ。腹筋台とかな」
――道具も自作ですか。
「当時の岩手なんて、何にも売ってないんだ。『バーベル? ありません』だよ。高校時代に肉体労働のアルバイトをして金を貯めて、通信販売でバーベル、ベンチプレスの台などのセットを注文した。ところが、当時の通信販売は届くまで、2か月とか3か月かかるんだ。『あれ、だまされたのかな』だよ。うちのオヤジが警察にいったら『もう少し待った方が』と言われて、待っていたら来たよ。これが普通だったんだな。57年前のことだから」
――待ちに待ったトレーニング道具で頑張ったわけですね。
「自己流でやっていたんだ。で、高校を卒業してサラリーマンになった。埼玉県川越市の従業員が千人くらいの会社に就職したんだ。寮に送ってもらって外で練習していたけど、蚊に食われるし、1人では何かと大変だった。そこで入社3か月にしてウエイト・トレーニング部を作った。47人、集めたぞ」
――入社3か月にしてそんなにたくさんの人を集めて新しい部を創設した。
「すごいだろ。総務課長と掛け合って、名簿を提出して部費も出してもらってな。そのうち大卒の同期に『俺も柔道部を作りたいんだけど、どうしたらいい』と相談されたりした。人数が足りないから、って俺も加わったりした。柔道なんて、体育の授業でちょっとしかやったことないのに、力任せにやってな。どんどん昇級試験に受かったよ」