“日本のビートルズ”は「早すぎた名バンド」 作曲家が挙げた3組の名前とその魅力
「THE GOOD-BYE」は「早すぎた名バンド」として高い音楽性が評価
まず、「はっぴいえんど」を挙げたい。1969年にデビューした彼らは大滝詠一と細野晴臣という両頭に、後に日本を代表する作詞家になるドラムの松本隆が歌詞を書く。ギタリストの鈴木茂も中期以降作曲面でもバンドに貢献する点もビートルズ的。ある意味ビートルズよりも「クリエーター集団」であったとも言える。
活動期間中のヒット曲はないが、名曲「風をあつめて」は後にスタンダードになったし、アルバム「風街ろまん」は不朽の名作である。そして彼らは解散後のそれぞれの活躍によって再評価され、歴史的名バンドとなった。
「ナイアガラサウンド」の大滝、「YMO」の細野、ギタリスト鈴木の音はJ-POPの方角を定めた。そして、松本は作詞家の総売上枚数で歴代3位である。後世への影響力は申し分ない。唯一「アイドル的人気」が物足りないくらいか。
では87年にデビューした「UNICORN」はどうだろう。奥田民生を中心に結成された彼らもメンバー全員が個性的な曲を書き、歌う。もう1人の中心人物である阿部義晴が加入してからの「服部」(89年)、「ケダモノの嵐」(90年)でその評価を定めた。ねじれたユーモアと人なつこいメロディーにはビートルズ的な自由さがあり、その「独特な在り方」も含め、平成以降のバンドに大きな遺伝子を残した。
彼らは90年代には音楽専門誌の表紙を飾る常連であり、アイドル的人気も大いにあった。「大迷惑」「すばらしい日々」などヒット曲も多数ある。「PUFFY」のプロデュースやソロとしてのミリオンヒットなどで、奥田の存在が前に出るが、阿部は「氣志團」をデビューからブレークに導くなど、その手腕への評価は高い。ステージでのエンターテイナーぶりは奥田をもしのぐほど。現在も実質的なリーダーは阿部である。
もう1つ、筆者がみなさんにおすすめしたいのが83年デビューの「THE GOOD-BYE」だ。ジャニーズが送り出した彼らは、バンド結成前からすでに「大人気アイドル」であった。野村義男は「たのきんトリオ」としてまさに一世を風靡(ふうび)していたし、曾我泰久もすでにタレントとして場数を踏んでいた。
「涙のティーンエイジ・ブルース」や「にくめないのがニクイのサ」など初期シングルが軒並みヒットチャートをにぎわせ、83年「日本レコード大賞」では最優秀新人賞を獲得した。TOKIOや関ジャニ∞など、後に続く「ジャニーズバンド」の先鞭(せんべん)をつけた。
レノン&マッカートニーよろしく「野村作詞・曾我作曲」のソングライターチーム2人のツインボーカルに、ツインギターが合わさった色気。初期の若さあふれるロックンロールから、中期以降、音楽的に深みを増し個々の才能の集まりとなっていく姿も実にビートルズ的だ。ベースの加賀八郎も実に味のあるシンガー・ソングライターであり、衛藤浩一のドラミングとムードメイカーぶりにはリンゴ・スターが重なる。筆者は「THE GOOD-BYE」こそが「日本のビートルズ」に1番近いのではないかと思う。
「早すぎた名バンド」として、その高い音楽性は、現在もポップスファンの間で支持され続けている。今なお、現役で活動する「THE GOOD-BYE」の変わらぬ魅力に注目してみてほしい。