女優生活50年・高橋洋子が明かす松田優作さんの思い出 「いつもとんがっていました」
「今も自然体でやれる役があれば何でも挑戦したいです」
視聴者が新しい作品の世界にすぐに入り込むせいか当時は平均視聴率50%近い作品ばかり。NHKからどんな教育を受けたのか。
「広報の方がついていて、私が『お父さん、お母さん』と言うと『父、母でいいんだよ』と言葉遣いのことも言われましたね。共演者の方もいろいろ教えてくれました。母役の左幸子さんは『せりふなんてどうでもいいの。本番前に忘れてしまいなさい。おなかから肝心なことを吐き出せばいいの。心でせりふを受け止めて心で吐き出しなさい』と。そんな左さんは当初、朝ドラのタイトルバックの出演者名の順番はヒロインの新人が最初ということを知らず『何で』と局の人に聞いていました(笑)」
あらためて女優生活50年をどう評価しているのか。
「あっという間。今も自然体でやれる役があれば何でも挑戦したいです。女優人生は楽しかった。でも、やり終えた感はないです。あったらいいな、女優の仕事。私が表現することで少しでも『明日、仕事頑張ろう』と思ってくれれば御の字かな」
81年に元クラフトのメンバーで作曲家の三井誠氏と結婚し、38歳の娘もいる。どんな妻で母なのか。
「意外と人を動かすタイプです。夫は自分で料理ができ、旅支度も自分でします。私は料理が得意ですが、娘のお弁当はあまり作りませんでした。理由は夫が作ってくれていたから。頼むねという感じですが(笑)。でも、いざという時は力を発揮しましたよ」
今後、どんな生き方をしたいのか。95歳の母を見て考えることがあるという。
「母は90歳までバスに乗って1人で出かけていましたが、今は立つのも座るのもトイレに連れて行くのも大変です。人間、何歳まで生きたら幸せなのか、つい考えます。人に迷惑をかけず、なるべく歩いて、話し、誰かと会いましょうという時は、おっくうがらずに出かけようと考えています。最近、30年ぶりにスケートをしました。スキーやダイビングにも行こうと思います。昔できたことをもう1度復習しようと思っています」