震災復興シンボル「おのくん」誕生から10年 材料の靴下提供企業と地元・東松島の交流
作り手「おのくん空の駅プロジェクト」は「何とか残そうという思い」
こうした状況を受け、高橋さんはSDGsの観点も意識した、“おのくん専用”靴下を開発。手縫いの際にやりやすい丈、生地についても中に入れる綿が出にくい厚さ・伸縮性を開発部門が研究した。余った糸「残糸」を再利用した約20種類のデザイン。2021年4月末から5月にかけて3工場で合計1000足の残糸の靴下を生産し、第1弾として東松島のお母さんの下へ届けた。それに、業界内の課題を乗り越えている。工場の現場からすれば、通常は廃棄に回すものを集めるのは、「真逆のやり方で、工場の負荷になる」(高橋さん)。そこは震災復興支援への思いを会社全体で共有し、靴下業界としても先駆的な取り組みを実現させた。
「あり得ない」という業界の常識を覆したカラーリングも特徴。新城さんは「最初のころ高橋さんから『めちゃくちゃ派手な色』と届いたのですが、『おのくんには地味です』と返事したこともありました。そうしたら、『こんな靴下ないですよ』と言われたり(笑)。今はいろいろな色のデザインを作り手側も楽しめていますし、こんなことをやりたいという話も積極的にさせていただいています」と語る。
2人は長い交流から、信頼し合って「本音」を言い合う間柄。今回も何度も話し合って実現に導いた。さらに、昨年12月には、高橋さんが東松島市を訪問。地元のお母さん2人と対面した。「飾らない姿、人情に接して、温かい気持ちになれました」と振り返る。
企業が震災復興をサポートする意義。高橋さんは「実際に行ってみて、思った以上に皆さん明るいんです。そこで改めて気付かされました。ずっとつながることが大事と思っています。お母さんたちがおのくんを作ることを楽しんでもらい、現地の皆さんが笑い合えるような人の輪ができるようになれば。それが、僕らができることだと思っています」と話した。
震災から11年。コロナ禍の試練もある中で、新城さんは「何とか残そうという思いでやっています。今年4月でおのくんとしては10周年です。全国で応援してくださる方たち、手紙をくださる方たちがたくさんいるので、その方たちのためにも頑張って、『戻ってきたらやっぱりいた』と、顔を見て話しができるところまで、ずっとやり続けること。お母さんたちも『それが恩返しなんだ』と言っています」と思いを明かした。また、「新しい靴下でおのくんを作れること、こんなコラボでつながりができたらいいよねとお母さんたちと話せていること。本当にありがたい。可能性をいただいているので、暗い中でも希望の光が見えています。たくさんの方に喜んでもらえるものを提供し続けたいです」と力強く語った。
オンラインの画面越しの取材。最後に、新城さんが「それもあって、これからも無茶なお願いばっかりすると思います」と話を向けると、高橋さんは笑顔で応じた。