震災復興シンボル「おのくん」誕生から10年 材料の靴下提供企業と地元・東松島の交流

東日本大震災の被害を受けた宮城県東松島市の復興シンボルとして知られるソックモンキー「おのくん」を、米国発で東京に拠点を置く靴下製造販売会社が温かい思いを持って支援している。地元のお母さんたちがまごころを込めて縫う人形の材料となる靴下の提供を長年続け、昨夏には、製造工程で発生する余った糸を使用する環境配慮型の靴下を開発。提供元のレンフロ・ジャパン株式会社支社長を務める高橋良太さんと、作り手である「おのくん空の駅プロジェクト」共同代表の新城隼さんに、交流の様子や復興への思いを聞いた。

「残糸」を再利用して作られたソックモンキー「おのくん」はカラフルな色使いだ【写真:(C)Renfro Japan Co., Ltd..jpg】
「残糸」を再利用して作られたソックモンキー「おのくん」はカラフルな色使いだ【写真:(C)Renfro Japan Co., Ltd..jpg】

2012年春に宮城県東松島市「小野駅前応急仮設住宅」から復興を願って誕生したソックモンキー「おのくん」

 東日本大震災の被害を受けた宮城県東松島市の復興シンボルとして知られるソックモンキー「おのくん」を、米国発で東京に拠点を置く靴下製造販売会社が温かい思いを持って支援している。地元のお母さんたちがまごころを込めて縫う人形の材料となる靴下の提供を長年続け、昨夏には、製造工程で発生する余った糸を使用する環境配慮型の靴下を開発。提供元のレンフロ・ジャパン株式会社支社長を務める高橋良太さんと、作り手である「おのくん空の駅プロジェクト」共同代表の新城隼さんに、交流の様子や復興への思いを聞いた。(取材・文=吉原知也)

 おのくんは、2012年の春に、東松島市「小野駅前応急仮設住宅」から復興を願って誕生した人形。NHKの小野文恵アナウンサーが取り上げたことでも話題になった。現地などで販売されているおのくんを迎え入れた人のことを「里親さん」と呼び、世界中で25万人以上がいるという。

 新城さんは「当時、仮設住宅に住むみんなで取り組むこととして、何か自分たちだけのものを作ろうとしていたときに、寄付として届けられたソックモンキーをお母さんたちが見て、『自分たちも作れるんじゃないの?』と作り始めたんです」と説明してくれた。地元の言葉「めんどくしぇ」が合言葉。「それは、面倒くさいという額面通りの意味ではなく、照れ隠しなんです。お母さんたちが、針で指を刺してぼやきながらも思いを込めて手作りする。当時はボランティアの人たちにコーヒーを出しながらも『めんどくしぇ』なんて言っていたんですよ」と笑う。

東松島のお母さんの手作業でおのくんが丁寧に作られている【写真:(C)Socialimagine Co., Ltd.】
東松島のお母さんの手作業でおのくんが丁寧に作られている【写真:(C)Socialimagine Co., Ltd.】

 市販の靴下を買いに行って作ってはまた買いに行く。物資が不足する当時の状況で、お母さんたちは靴下不足に悩まされるようになった。そんなとき、何か震災復興の取り組みができないかと考えていた高橋さんが、商業施設に貼られたビラをたまたま見て知ったのが、おのくんだった。「飛び込みで連絡して、新城さんから『とにかくみんなで集まって作ることに意義がある。おのくん作りを継続したいんです』という思いを聞き、支援の方法を考えました。展示会で使った後のサンプルの靴下を提供することを思い付きました」。

 バイヤー向け展示会のサンプルは商品ではないため、終了後は家族や関係者に配るのが一般的。ただ、ピンクなど奇抜な色の靴下は、たんすの肥やしになってしまうもの。その豊かな色合いが、おのくんにはぴったりだった。同社は14年から提供を開始するようになった。

 だが、おのくんにさらなる苦難が。新型コロナウイルス禍だ。靴下の供給不足に加え、魅力でもある“身を寄せ合った手作業”が困難に。1日1、2人での寂しい雰囲気での生産状況が2年以上続いている。何より、里親さんが東松島市まで立ち寄ってくれる機会が激減したことも打撃に。新城さんは「相当厳しい状況です」と口にする。

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