新日本プロレス卒業の尾崎仁彦リングアナが歩んだ15年半 50歳を機に決断した新たな道
BGMが流れなくなりボイスパーカッションでフォローしたことも
15年半となれば、思わぬアクシデントもあった。千葉ポートアリーナ大会で、音響装置が突如、不調に陥り、カール・“マシンガン”・アンダーソンのBGMが流れなくなってしまった。ざわつく会場。マイクは生きている。尾崎アナはとっさにボイスパーカッションをスタート。「ダッ、ダッ……」とやってのけた。
アンダーソンも尾崎アナのアカペラをBGMにノリノリで、いつものマシンガンをぶっ放すパフォーマンスをやってのけた。隣ではアンダーソンのタッグパートナー、ジャイアント・バーナードがバカ受けだった。「いや、慌てたけど、うまくいって良かった」と、今でも冷や汗が噴出してくるそうだ。
100人を超える選手を紹介してきたが、日本人だと「7文字の選手がコールしやすい」という。「たなはしひろし」は1番のお気に入りで、気合が入った。というのも、尾崎アナは東京出身で生まれも育ちの江戸っ子。サ行には人知れず苦労していた。「シ」と「ヒ」の区別には気を使った。
大きな会場でも、小さな会場でも、メインイベントでも第0試合でも「気持ちは一緒。ファンの皆さんにわかりやすく、選手が気持ちよくファイトできるように」全身全霊をこめてきたが「G1クライマックスの決勝戦などで、コロナ禍の今は難しいけど、観客席から押し寄せてくる、地響きのような歓声とどよめきには、鳥肌が立った」と興奮冷めやらぬ表情だ。
東京ドームは反響やエコーが起こり、リングアナ泣かせだった。「耳で音を確認できるイヤーモニターが導入されて、何とかなった」とにっこり。
プロレス界から男50にして旅立つ尾崎アナ。岡目八目という言葉がある。内側からでは見えないこともある。近すぎて気づかないこともある。少し離れて外側から眺めれば、新たな発見もあり、プロレスの魅力を再確認できる。忘れていたファン目線、ファン心理を思い出し、新鮮な発見もあるはず。内側からと外側から、両方からプロレスを楽しめるのは幸せだ。
「どんな気持ちになるのかワクワク」と尾崎アナ。そのプロレス愛は不滅だ。