“オランダの赤鬼”ウィリアム・ルスカ、異種格闘技戦のルーツとなった猪木との激闘【連載vol.81】
愛妻家の一面もあった“赤鬼”ルスカ
古来、日本における「鬼」は、漂着などして日本に定住した外国人だったという説が根強い。大きくて紅潮する体。昔の日本人にしてみれば、まさに赤鬼に見えたのだろう。ルスカを見る度、鬼伝説を思い出す。
その後もプロレスラーとして活躍。米WWF(現WWE)にも参戦している。とにかく腕っぷしが強く、同じく柔道日本一からプロレスに転身し、腕相撲には自信を持っていた坂口征二にも負けなかった。
後に五輪連覇からプロ転向を選んだのは、難病に冒された夫人の治療費を稼ぐためだったことが明らかになった。愛妻家だったのだ。
とにかくイタズラ好きで、ド近眼のスタン・ハンセンが試合を終えて、眼鏡をかけると目の前は真っ暗闇。「オー」と慌てふためくハンセンを笑い飛ばしたのがルスカ。眼鏡のレンズを黒いマジックで塗り潰していたのだ。後々、ハンセンは「本当にビックリした。あれから、眼鏡をきちんとしまってリングに向かうようにした」と、苦笑いしながら振り返ってくれた。
引退後は夫人とオランダでカフェをオープンし、穏やかな生活を送っていた。98年4・4東京ドーム大会の猪木の引退マッチに登場し、日本のファンにも元気な姿を見せている。ただ、2001年に脳出血に襲われ、車いすを利用する生活になったという。
「ルスカは強かった」と多くのレスラーが口を揃えている。柔道の歴史にも刻まれ、猪木との手に汗握る一戦はプロレス界にも大きな影響を与えた。異種格闘技戦の端緒を切り開き、その後の格闘技戦ブームを巻き起こしたのだ。
コロナ禍で大規模な節分の豆まき「鬼は~外! 福は~内!」も自粛された。自宅でささやかに豆をまくと“赤鬼”ルスカの迫力ある勇姿が脳裏に浮かんできた。(文中敬称略)