“オランダの赤鬼”ウィリアム・ルスカ、異種格闘技戦のルーツとなった猪木との激闘【連載vol.81】

“オランダの赤鬼”ウィリアム・ルスカの命日(2月14日)がやってくる。柔道そしてプロレス、世界の格闘ファンを唸らせる強者だったが、2015年に74歳で亡くなった。

1976年2月6日の東京・日本武道館大会のポスター【写真:柴田惣一】
1976年2月6日の東京・日本武道館大会のポスター【写真:柴田惣一】

毎週金曜日午後8時更新「柴田惣一のプロレスワンダーランド」【連載vol.81】

“オランダの赤鬼”ウィリアム・ルスカの命日(2月14日)がやってくる。柔道そしてプロレス、世界の格闘ファンを唸らせる強者だったが、2015年に74歳で亡くなった。

 1972年ミュンヘン五輪の柔道で無差別級、重量級の2冠を達成し、世界中にその名を轟かせた。76年モントリオール五輪で2連覇が確実と言われながら、プロ戦士に転身。同年2月6日、東京・日本武道館でアントニオ猪木との「格闘技世界一決定戦」に臨んだ。

 当時の猪木は、ボクシングの世界王者モハメド・アリとの大一番を目指していたが、さすがになかなか進展しない。こう着ムードが漂う中「ボクシングとレスリングだけが格闘技ではない」と名乗りを上げたのがルスカだった。

 ルスカは「俺の体は栄養たっぷりのチーズでできている。頑丈なんだ。負けるわけがない」と挑発。猪木が「日本には納豆がある」と切り返し「チーズVS納豆」論争に火が付いたのも懐かしい。この発言で猪木が納豆協会から表彰されたと言われた。

 世界中の格闘ファンが注目した「プロレスVS柔道」の大一番は、柔道の投げ技、絞め技でルスカが先手を取った。猪木は柔道にはないキック、ストンピングで徐々に反撃を開始。プロレス流のラフファイトに切れたルスカは柔道着を脱ぎ捨てる。

 上半身、裸のルスカの体は紅潮。文字通りの「赤鬼」に化身して猪木に向かっていったが、バックドロップ3連発にダウン。セコンドのクリス・ドールマンがタオルを投げ入れ、20分15秒、猪木にTKO負けを喫した。

 カール・ゴッチは「ルスカの敗因は、猪木を怒らせたことだ」と分析。ルスカは赤鬼だったが、猪木の殺気みなぎる青鬼ともいえる表情も忘れられない。

次のページへ (2/2) 愛妻家の一面もあった“赤鬼”ルスカ
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