「大みそか=格闘技」を決定づけた20年前 安田忠夫がバンナを倒した日から受け継がれるもの
民放第1位の視聴率14.9%を叩き出す
01年大みそかまでひと月を切った12月8日、東京ドームで「K-1グランプリ決勝戦」が開催された。
注目は、大みそかの「INOKI BOM-BA-YE 2001」への参戦が噂されていた“K-1の番長”ジェロム・レ・バンナだったが、まさかの1回戦でマーク・ハントに壮絶なKO負けを喫した。
本来は、KO負けを喫した選手が大みそかに試合をするなんてあり得ない。
そんな状況でもK-1側はバンナが出ることを、最終的には承諾させることに成功。
その点はプロモーターだった石井和義館長の手腕が光ったが、正直な話を言えば、バンナだって黙ってOKしたとは思えない。
おそらくそれなりの金額なり条件を提示されたはず。いいか悪いかは別として、時間的な制約があるなかで早期解決を図ろうとすれば、結局のところ、最後はマネーゲームや条件闘争になってしまう。
それでも、大みそかの地上波ゴールデンタイムという器を成功させる気概という意味では、石井館長のすごみは猪木以上だった。
ともあれ、安田は大方の下馬評をくつがえし、バンナをギロチンチョークで破って見事一本勝ち!
別居していた中学生の娘を肩車し、コーナーにのぼると、会場から割れんばかりの拍手喝采を浴びた。
実は記者もこの親子物語には半年前から関わっており、粛々と仕事をこなしていたが、最後の最後でまさかの展開が現出できたことも手伝って、リングサイドにいながら泣けて仕方がなかった。
それくらい、絵に書いたようなフィナーレをつくりあげることができたのだ。
ただ、正直な話を書くと、安田には十分勝てる機会はあると思っていた。なぜならバンナは3週間前にKO負けしていたため、練習を含めた調整ができていない、という話を聞いていたからだ。
もちろん、それでも安田がバンナの圧力に臆せず、間合いを詰めて得意の打撃を封じたのはさすがだった。
正月2日だったか3日だったか、安田の取材をするべく、場所を探していたら、たまたま安田の試合を見ていた近所の主婦が「よかったわねー」と声をかけてきた。
そういった層にまで届いたのだなーとうれしくなった。
実際、視聴率でも、確か平均14.9%の数字をたたき出し、民放1位を獲得したのだ!
誇らしかったし、そこまでの間、個人的にさまざまなものを犠牲にしながら取り組んで来たかいはあったと、その段階では胸をなで下ろしたことを覚えている。