外国人が消えた東京・山谷地区の簡宿街 コロナ2年目試練の年末 生き残り策に成果も
狂った建築計画 増える賃貸用マンション
2002年の日韓サッカーワールドカップを機に変貌を遂げ、外国人向けのホステルやドミトリーで注目を浴びた山谷地区。近年はホテルの価格比較サイトの登場や民泊の拡大で、ただでさえ、客足に影響を受けていたという。しかし、決定的だったのはコロナだ。「コロナで最終ダメージを受けた。これから(宿泊用の)建物を建てようと計画していたところはみんななくなった」。帰山さんの弟が経営し、外国人を受け入れてきた別の宿泊施設も9月に撤退を決めた。すでに建物は取り壊されている。
代わりに増えているのが賃貸用マンション。山谷地区の中心、城北労働・福祉センターの前には、14階立てのマンションが建設中だ。他にも10階前後のマンションが複数、着工している。「山谷のイメージがよくなったからと思っている。若い夫婦も移住してくる」と、帰山さんは分析している。
山谷がかつての隆盛を取り戻せるよう、新たな試みにも挑戦している。帰山さんはSNSを使い、地元の情報を積極的に発信している。「山谷の宿だから来るんだっていう人たちを増やしたい。山谷が好きな人はいる。観光地の宿ではなく、下町の宿が面白いという人がね」。特に工夫したのがグーグルマップへの記入。「お客さんに『何を見て知った?』と聞くと、グーグルマップという声が多かった」。山谷全体の魅力度を高めるため、住人ならではの見どころを紹介。「埋もれた地域資源はいっぱいある」と力を込める。
年末年始は東京都からの要請で、緊急保護の対象者を受け入れる。一時的に稼働率は上がるが、それでも、不安の種はくすぶる。
「心配しているのは生活様式や旅行のスタイルが変わってしまうこと。ウチはグループに来てもらわないと困るけど、2人とかのグループが来ないんだよね。よく野球観戦で親子が来ていたけど、今は4人なんて珍しい。コロナが収束してそれが定着したら困る」と気をもんだ。