「嫌だな、俺、死んじゃうの?」 コロナ感染でICUから生還したGRACHAN岩崎代表が語った凄絶

退院してからの初の大会となる「GRACHAN 45」のポスター【写真:ENCOUNT編集部】
退院してからの初の大会となる「GRACHAN 45」のポスター【写真:ENCOUNT編集部】

ICUでの苦闘 全身に熱が走る

 岩崎氏はICUに入った。

 眠りから覚めた時に驚いた。いつの間にか手をベッドに縛られて、口には気管挿管、要は管が入っていた。尿道にも同じく管が入っており、下半身にはオムツを当てられていたのだから。

「起きたら自分が植物人間状態になっていたんですよ。その当時はECMO(対外式模型人工肺)の選択肢もなかったし、コロナって完全に正体が分からない病気として恐れられていたから、空気感染、血液感染で広がってしまう可能性を考えて、たぶんそれが気管挿管だったんですかね」

 ベッドに寝たまま、気管挿管されて言葉を発することもできない。少しボォーとしている状況でも周囲の会話は聞こえるし、視界こそ良好だが、不自由さを感じる日々が続いた。

「5日目だったかな。1回、死ぬかなって思った時がありました」
 
 それは当時、効果があると言われていたアビガンを投与することになった時のこと。カタカタカタ…と何かを砕く音がICU内で聞こえて、口から接種できない状態の岩崎氏には、錠剤を細かく砕いて、点滴から体内に入れたようにも感じた。何より高熱が全身に走り、意識がもうろうとした。

「死ぬと思った瞬間に頭に浮かんだことは?」

 せっかくだからとそんな質問をぶつけてみた。

「あのね、どうでもいい人は頭から消えますよ。いい思い出はプレイバックしていましたね」

 岩崎氏はそう答え、次のように続けた。

「今は結婚していなくてよかったと思う。心配をかけずに済んだから。あとは『GRACHAN』をどうしようかとは思ったな。自分の後釜がいるわけじゃないしね。俺がいなかったら『GRACHAN』は回らないと思う。他には、誰かに『GRACHAN』を売って、親に少しはカネを残したかったかな、とか。そのくらいかな」

 そこから結局、計9日間、ICUに閉じ込めらた岩崎氏は、晴れて別の個室に移されることになった。

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