“70年代アイコン”フラワー・メグ、角膜感染症を克服し復活「実は深刻な病気だった」
1970年代にモデル、歌手、女優として一世を風靡(ふうび)したフラワー・メグが29日夜、東京・六本木のライブレストラン「六本木クラップス」で「フラワー・メグ伝説~前夜祭~」と題する公演を行い、左目の角膜感染症からの復活をアピールした。
7月下旬に目の病気が発覚
1970年代にモデル、歌手、女優として一世を風靡(ふうび)したフラワー・メグが29日夜、東京・六本木のライブレストラン「六本木クラップス」で「フラワー・メグ伝説~前夜祭~」と題する公演を行い、左目の角膜感染症からの復活をアピールした。
フラワー・メグは8月26日に東京・代々木上原のけやきホールにて、初のホールコンサート「フラワー・メグ伝説~エロスな夢・夢・夢~」を予定していたが、7月下旬に目の病気が発覚し、緊急入院。公演を断念せざるを得なかった。
今回のステージは2022年2月8日に予定している同所でのホールコンサートに向けた「前夜祭」という位置づけ。津川雅彦と朝丘雪路を両親に持ち、女優・歌手として活躍する真由子、バーレスク世界大会で最優秀賞を受賞したダンサー「エロチカ・バンブー」、異色デュオ「黒色すみれ」、欧州でも活躍するダンサー史椛穂(しずほ)、歌手・司会の佐藤梟(ふくろう)が駆けつけ、ステージに華を添えた。
ステージ上でプロデューサーの新田博邦氏から「実は、深刻な病気だったんだよね。すごい痛かったんだよね。眼帯でもステージに立とうと思ったんだよね」と声をかけられると、視力低下に悩まされたフラワー・メグは大きな目にいっぱい涙を溜め、「来年2月のコンサートでは、今日の仲間たちと元気なステージをお見せしたい。彼らがどんなものを見せてくれるかはおまかせなので、分からないですけども」とリベンジを誓った。
フラワー・メグは19歳だった1971年、N E T(現・テレビ朝日)の深夜番組「23時ショー」のカバーガールとして抜てきされ、たちまち人気に。吉永小百合らを育てた敏腕ディレクターの竹田京子氏に見いだされ、同年「ベッドにばかりいるの」で歌手デビュー。パンティー1枚だけで楽曲を歌うという大胆なプロモーションで一大センセーションを巻き起こした。女優としても、内藤誠監督の「不良番長 手八丁口八丁」や新藤兼人監督の「鉄輪(かなわ)」などの映画に出演。活動期間はたった2年足らずだったが、彗星のごとく登場し、彗星(すいせい)のごとく姿を消したことから伝説となった。03年に当時の音源がCD化されたのをきっかけに再評価が高まり、07年に芸能活動を再開。以降、定期的に活動している。