令和の“CM女王”はどのように10社契約をつかんだのか 君島光輝が歩んだ芸能人生とは
3歳から芸能界が夢…転機は高校1年の時、三重から東京に「あ、東京だ」
順調にキャリアを積み上げてきたようだが、芸能界を夢見たのはいつか。「3歳くらいのときですね。でも、ずっと恥ずかしくて言えなかったんですね。プロフィールには東京出身と書かせていただいているのですが、実際に生まれたのは札幌で、父の仕事の関係で、熊本、鹿児島、東京と転勤していたんです。中学時代を過ごしたのは三重県だったのですが、三者面談の時は、英語の先生か、保育士になりたいと言っていました」。
そんな君島が転機を迎えたのは、東京に引っ越してきた高校1年のとき。現在の事務所にスカウトされ、芸能界入り。「『あ、東京だ』と思ってしまいましたね。三重県にいたら、知らない人に声をかけられるのは、道を尋ねられるくらいしかないですから(笑)」。その後はアイドルグループ「palet(パレット)」のメンバーとして活躍。2015年6月に卒業した。
芸能活動は10年目。「これまで1番大きかったのはグループを卒業するっていう決断したときですね。選択肢はいろいろあって、この仕事に区切りをつけて、新しい道に進むということもあったのですが、続ける道を選んだ。グループとしての良さもありましたが、今は自分の好きなことを自分発信できるので楽しいと感じています」。
今後は女優業をメインに活躍したい考え。「お芝居をすることがすごく好きなんです。これまでは舞台が多かったのですが、映像の方でもやってみたい。テレビをつけたら、『また君島光輝が出ているよ』『CMでも出ているよ』といわれるようになりたい。まずは顔と名前が一致してもらって、私自身が商品になれるといいなと思っています。今はコロナ禍で海外にも行きにくいですが、お仕事で海外にも行きたいですね」。ビッグスター田原とも共演もかない、“CM女王”の夢は大きく膨らむばかりだ。
□君島光輝(きみじま・みつき)1994年8月10日、東京都出身。高1のときにスカウトされ、タレント活動を開始。2012年にアイドルグループ「palet(パレット)」のメンバーに選ばれる。15年6月にpaletを卒業し、女優業・タレント活動に力を入れる。AB型。156センチ。
FOD「スイートリベンジ」配信中
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