【ズバリ!近況】“奇跡の60代”宮崎美子が明かす40年ぶり水着ショットの舞台裏「加工技術のおかげ(笑)」
この1年、宮崎美子さんが“攻めて”いる。昨年8月、公式チャンネル「よしよし。」を開設し、YouTuberデビュー。同10月には水着姿を含む、自身初のカレンダーを発売し、「奇跡の60代」として大ヒットを記録した。今年は50年前の中学生に扮(ふん)したマクドナルドのCMが評判となり、9月には34年ぶりの新曲「ビオラ」を配信リリース。その勢いはミノルタのCMで大ブレークした41年前の風景と重なる。9月29日に歌手デビュー40周年記念アルバム「スティル・メロウ ~40thアニバーサリー・アーカイブス」を発売した宮崎さんに話を聞いた。
今もピカピカに光る宮崎美子が語る今昔
この1年、宮崎美子さんが“攻めて”いる。昨年8月、公式チャンネル「よしよし。」を開設し、YouTuberデビュー。同10月には水着姿を含む、自身初のカレンダーを発売し、「奇跡の60代」として大ヒットを記録した。今年は50年前の中学生に扮(ふん)したマクドナルドのCMが評判となり、9月には34年ぶりの新曲「ビオラ」を配信リリース。その勢いはミノルタのCMで大ブレークした41年前の風景と重なる。9月29日に歌手デビュー40周年記念アルバム「スティル・メロウ ~40thアニバーサリー・アーカイブス」を発売した宮崎さんに話を聞いた。(取材・文=濱口英樹)
CMとドラマでデビューしてから41年がたちました。最近つくづく感じるのはご縁の大切さ。それはどの世界でも同じかもしれませんが、ずっとこの仕事をしてきて、そう感じる場面が増えました。たとえば映画やドラマでは撮影が終わったらそのチームは解散しますけど、また違う現場でそのときご一緒した方と再会したりする。長年ご無沙汰していた方とも思わぬ形で巡り会って、再びお世話になったりもする。そういうご縁がつながって今の自分があることに感謝しています。
昨年、制作したカレンダー。おかげさまでいろんなところで話題にしていただきましたけれども、あれはもともと卓上カレンダーを想定したささやかな企画でね。写真も水着ではなく、ちょっとおしゃれな服を着て公園とかで撮れたらいいな、くらいの気持ちでした。デビュー40年という節目に、今までやったことがなくて、記念になるものを作ろうって。コロナ禍で何もできない時期だったので、なおさら何か形になるものを残しておきたかったんです。
ただ、私にとって初めてのカレンダーでしたから、まずはデビューのきっかけを作ってくださった篠山紀信さんにお話をしたんですね。そのときは、撮っていただけることになるとは思ってもいませんでしたが、週刊誌の袋とじ企画も連動することになって、結果としてああいう展開になったんです。あれ以来、「どんなトレーニングをしているんですか?」って聞かれることが増えましたけど、あの水着姿はポージングと加工技術のおかげ(笑)。しばらく加圧トレーニングに通った時期もありましたが、コロナ禍の今はラジオ体操くらいしかやっていません。身体を動かすのは好きなんですけどね。
篠山さんと初めてお会いしたのは今から42年前、大学3年の冬でした。きっかけは新聞に掲載された週刊朝日の広告。そこには「篠山紀信があなたを撮ります」と書かれていました。プロの方に撮っていただけたら一生の記念になるだろうな――。そう思って応募したら運よく表紙に採用されたんです。
実はミノルタのCMも篠山さんから紹介されたお話でした。ちょうど大学の試験が終わった日にお電話をいただいて「春休みにサイパンでのロケに参加しませんか?」と。候補者はほかにもいて、現地で撮影してから誰にするかを決めるというお話だったので、バイト感覚で参加したんです。もちろん初めての経験でしたが、撮影は楽しかったですよ。現場ではディレクターさんから「そろそろ海に入ろうか」とか「そこで着替えてくれる?」と声をかけられてね。こちらは素人ですから、言われるままに動くだけでしたけど、当時はその場でフィルムを確認できませんから、CMが流れるまでどんな映像か知らなかったの。結果として、あのCMが今の仕事につながるわけですから、篠山さんはこの世界に導いてくれた恩人ですね。
とはいえ、あの頃は皆さんに注目されているという実感はほとんどありませんでした。夏にはドラマ「元気です!」(1980年、TBS系)の撮影が始まったんですけど、そのために借りた部屋にテレビがなかったこともあって、志村けんさんがまねしていることも全然知らなくて。だいぶ後になってから見たときは、あの志村さんがまねしてくれている! といううれしさはありながらも、なかなか複雑な気持ちでしたね(笑)。