【ズバリ!近況】「夏の日の1993」歌った元「class」の日浦孝則が語る今だから明かせるヒットの裏話

暑かった夏が終わり急激に涼しくなった。涼しすぎて夏が遠く感じるほどだが、夏といえば1993年の大ヒットソング「夏の日の1993」(アポロン)を、今もつい口ずさんでしまう人は少なくないだろう。♪1993 恋をした……というサビが懐かしい。歌っていた男性ボーカルデュオ「class」はどうなったのか。津久井克行さんは2009年に49歳の若さで亡くなってしまったが、日浦孝則さん(61)はどうしているのか。東京・荻窪の喫茶店で会って話を聞いた。

元「class」のミュージシャン・日浦孝則さん【写真:ENCOUNT編集部】
元「class」のミュージシャン・日浦孝則さん【写真:ENCOUNT編集部】

「class」当時のギャラは月給制で15万円だった

 暑かった夏が終わり急激に涼しくなった。涼しすぎて夏が遠く感じるほどだが、夏といえば1993年の大ヒットソング「夏の日の1993」(アポロン)を、今もつい口ずさんでしまう人は少なくないだろう。♪1993 恋をした……というサビが懐かしい。歌っていた男性ボーカルデュオ「class」はどうなったのか。津久井克行さんは2009年に49歳の若さで亡くなってしまったが、日浦孝則さん(61)はどうしているのか。東京・荻窪の喫茶店で会って話を聞いた。(取材・構成=中野裕子)

「class」は1993年から3年活動して解散しました。2003年や08年にライブを開催したりしましたが、あくまで同窓会的な一時的なもの。再結成の話は当時の事務所から何度かいただきましたが、お断りしていました。津久井といろんな意味で合わなくて、96年の解散時も僕から「辞めさせてください」と言ったのです。結構な大金を積まれて「何とか」と頼まれたこともありました。でも、お金の問題じゃない。ストレスをためずに、好きなことをして生きていきたいんですよ。

 そうするうち、津久井がすい臓がんで亡くなってしまって。最後に会ったのは、07年にリリースした、「夏の日の1993」が入ったコンピレーションアルバム「R35 Sweet J-Ballads」(ワーナーミュージック・ジャパン)がヒットして、NHKの音楽番組「SONGS」に「class」で出演したとき。そのときも正直、気持ち良く一緒に歌えませんでした。でも、49歳で亡くなるのは早い。やりたいことがたくさんあっただろうから、悔しかったろうと思います。

 僕らはもともと友人とかではなく、デビューの前年、事務所で突然、引き合わされて結成した仲でした。「class」デビュー前の僕は、広島の田舎から京都の大学を経て上京し、ソロデビューしたもののあまり売れず、コンピューター会社でサラリーマンをしていました。会社勤めをしながら、デモテープを作ってはあちこちに売り込んでいたんです。その売り込み先のひとつだった事務所に「class」の話をいただいたのです。本当はソロで再デビューしたかったのですが、「class」は売り出しに力を入れるというし、デビュー曲「夏の日の1993」を初めて聴いたとき、これはいける、と思ったんです。「売れる曲というのは、こういうものか!」って(笑)。

「夏の日の1993」がミリオンヒットになって“ザ・芸能界”という世界に触れて、面白い体験がいろいろできましたね。売れたらモテる、と聞いていたのに、それはなかった(笑)。ギャラは月給制で15万円。サラリーマンでは年収1000万円超稼いでいたので、再デビューのために辞めて収入はすごい下がったんですけど、それでも最初にソロデビューしたときは月5万円だったので、不満はなかったです。2枚目のシングルでは作詞をさせてもくれて、印税もいただけましたし。

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