【愛車拝見】「相棒」大河内監察官役の神保悟志、ハーレーを降りたワケ 自動車の“相棒論”

舞台稽古の前に取材に応じた神保悟志さん【写真:山口比佐夫】
舞台稽古の前に取材に応じた神保悟志さん【写真:山口比佐夫】

両親が運転手として雇って貧乏時代を支えてくれた

 四輪自動車の免許を取得したのは20歳のとき。地元の静岡で高校を卒業後、横浜で専門学校に通いまして、その専門学校に通っているときに取りました。バイクに乗りたくて本当は二輪の免許を取りたかったんですけど、両親に「危ないからダメ!」と反対され、「自動車免許ならいい」というので四輪免許を取ったんです。実はその直後に二輪免許を取れば安く取れるので、自分のお金で取っちゃったんですけど(笑)、四輪免許取得は親のすねをかじらせてもらいました。今思うと、結構な出費。専門学校の学費を払ってもらっているのに、そのうえ免許取得費用まで……。親ってよくやってくれたな、と自分が親になって思いますね。

 専門学校卒業後は上京し、都内の劇団の養成所に入り俳優を目指していました。当時は、専門学校生時代以上にお金がないでしょ。ろくに飯さえ食べられなくて、毎晩、アルバイト先の料亭のまかない料理で、何とか腹を満たしていたぐらいでしたから、バイクを持てたのは23歳になってから。中古のホンダの200ccのオフロード車を、友人から超格安で譲ってもらいました。超格安なぶんそれなりで、1年ちょっとで修理が追いつかなくなっちゃって手放して、その後はカワサキとか国産のバイクを乗り継いでいました。バイクは便利だし、電車賃を考えると、都内の移動はバイクの方が安くすんだんですよ。

 俳優の卵って、オーディションの知らせが入って急に休むことになったりするので、アルバイトをするのが難しくて、20代半ばは一番、お金がありませんでした。それを親は感じたのでしょう。共働きだったオフクロが電話をかけてきて、「仕事であちこち行きたいから、ウチの車を運転して手伝ってくれない?」と言って僕を実家に呼び寄せ、バイト代としてお金をくれたり、飯食わせてくれたりしました。寄り添って、助けてくれていたんですね。心の中では俳優として食べていけるようになるか、心配していたと思いますが、何も言いませんでした。ありがたいですね。

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