日本中を震え上がらせた超大物 「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックさんの命日に思い出したこと

9月10日は「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの命日。1997年に68歳で亡くなった。

馬場さんにアイアンクローを仕掛けるフリッツ・フォン・エリックさん【写真:柴田惣一】
馬場さんにアイアンクローを仕掛けるフリッツ・フォン・エリックさん【写真:柴田惣一】

電話帳を引き裂くなどの驚がくパフォーマンスを見せた

 9月10日は「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの命日。1997年に68歳で亡くなった。

 エリックは大きな手と強靭(きょうじん)な爪をフル活用したクロー攻撃で恐れられた伝説の名レスラー。1960年代から70年代にかけて、日米両国マットで大暴れしている。日本プロレスに来日した際には、エリックの得意技の名称から「アイアン・クロー・シリーズ」と銘打たれるなどの超大物だった。米国テキサス州ダラス地区を牛耳る敏腕プロモーターで、リングを離れた際には、ジャイアント馬場など日本マット界との交流も深かった。

 リング上の攻防は激しかった。上からアイアン・クローをかけようとするエリック、下から腕を押さえ阻止しようとする馬場。綱引きのように押しては引く、その繰り返しで、ファンは熱くなった。また、リング下に落ちたジャンボ鶴田を片手のアイアン・クローで、リング内に引っ張り上げている。そのすさまじい力には心底仰天したものだ。

 エリックの技は決して多くなかった。アイアン・クローとストマック・クローの他には、ヘッドロックとボディースラムくらいしか記憶に残っていない。技の数こそ少なかったが、それでも鉄の爪の脅威に、日本のファンは衝撃を受け、恐れおののいたものだ。

 ぶ厚い電話帳をいとも簡単に引き裂いたり、リンゴを片手で握りつぶし「ジューサーいらずだぜ」と、コップに注いで飲んだりする驚がくのパフォーマンスも、すさまじかった。

 あるとき、東京の聖地・後楽園ホールのエレベーター前で会場入りするエリックに、幼児がよちよちと近寄って行った。何とエリックの足にしがみついた。親と間違えてしまったようだ。

 ちょっと目を離した親の悲鳴。周囲は騒然となった。エリックは無表情で幼児の頭に手を伸ばす。まさか、子どもにアイアン・クローか?

 エリックは頭を優しくつかみ、軽々と持ち上げたのだ。子どもは足をバタバタさせながらキャッキャッと笑った。しばらくブラブラと振った後、静かに床に下ろし、手を放した。周りから安堵(あんど)の声が漏れた。

 楽しかったと言わんばかりに顔を見上げる子どもに優しくニコッと笑った。エリックの笑顔は珍しかった。

 エリックは鉄の爪王国を築き上げ、息子たちもレスラーになったが、不慮の死を遂げる者が多く「呪われた一家」などとも呼ばれた。息子たちに先立たれるのは、さぞやつらく悲しかっただろう。ご冥福をあらためて祈るしかない。

 今では天国で息子たちとプロレスで親子対決し、親子タッグで馬場、鶴田たちと闘っているのだろう。

次のページへ (2/3) プロレスファンの中にはネイルを「鉄の爪」と呼ぶ人も
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