【週末は女子プロレス#11】24年前のリング禍を風化させるな―プラム麻里子さんから学んだ教訓

今から24年前の1997年8月16日、JWPで活躍していたプラム麻里子さんが試合中の事故により亡くなった。享年29歳。この年の8月15日、JWPは広島で試合を開催、プラムさんはコマンドボリショイとのコンビで尾崎魔弓&天野理恵子組と対戦した。試合はプラムさんがピンフォール負けを喫した後、意識不明となり救急車で病院に搬送され開頭手術を受けたのだが、翌日に容態が急変し帰らぬ人に。死因は、急性硬膜下出血並びに脳挫傷。日本のプロレス史上初めてのリング禍となってしまったのである。

プラム麻里子さんの思いを受け継ぐPURE-J女子プロレス【写真:新井宏】
プラム麻里子さんの思いを受け継ぐPURE-J女子プロレス【写真:新井宏】

PURE-Jコマンドボリショイ社長はレスラー生活に幕を閉じた後も覆面社長として団体を切り盛り

 今から24年前の1997年8月16日、JWPで活躍していたプラム麻里子さんが試合中の事故により亡くなった。享年29歳。この年の8月15日、JWPは広島で試合を開催、プラムさんはコマンドボリショイとのコンビで尾崎魔弓&天野理恵子組と対戦した。試合はプラムさんがピンフォール負けを喫した後、意識不明となり救急車で病院に搬送され開頭手術を受けたのだが、翌日に容態が急変し帰らぬ人に。死因は、急性硬膜下出血並びに脳挫傷。日本のプロレス史上初めてのリング禍となってしまったのである。

 以来、毎年この時期になるとプラムさんのメモリアル興行が開催されている。ボリショイがJWPから継続する形で旗揚げしたPURE-Jと、元JWPの尾崎が主宰するOZアカデミーである。OZは「プラムの花咲くOZの国」と題した大会が恒例で、今年は8月18日に東京・後楽園ホールで開催した。PURE-Jは9日に後楽園大会を終え、プラムさんのラストマッチにあたる15日の試合を予定していたのだが、新型コロナウイルス禍の影響により、直前にならないと正式に開催がアナウンスできない状況となっていた。

 というのも、若手の所属選手・大空ちえが濃厚接触者の可能性がありPCR検査を受けいったんは陰性と判定されるも、数日後に症状が出てやり直すと陽性との結果。これにより、後楽園大会を欠場したのだ。が、後楽園当日にはすでに陰性の判定が出ており、保健所からも外出許可が下りた。それでも、ボリショイ社長は自宅待機の期間を考慮しリングに上がるには不十分と判断、大事を取って欠場させ、正式に開催の運びとなった8・15亀アリーナ(東京・亀有PURE-J道場)での「故・プラム麻里子さんメモリアル」が復帰戦となった。1人でも感染者が出れば開催実現は不可能。大空を即復帰としなかったのは、準備不足や体調不良の選手をリングに上げてはならないという、プラムさんから得た教訓の一つである。

 今回、メモリアル興行が道場で行われたのは初めての試みだった。また、同興行を生配信で視聴可能にしたのも初めてのこと。そこには、「どんなに時代が変わってもプラムさんの事故を風化させてはならない」というボリショイの思いがある。

 大会では、プラムさんが得意としていた「2カウントフォールマッチ」「オンリーギブアップマッチ」も組み込まれていた。2カウントで勝負が決まるルールは92年4月のプラム麻里子VSダイナマイト・関西が発火点、JWPの名物ルールとなった。ギブアップのみで勝敗が決するオンリーギブアップルールは92年5月にバトルロイヤル形式でスタートし、この試合で優勝したのがプラムさんだったのだ。

 プラムさんゆかりの試合形式を受け継ぐのはもちろん、ボリショイはプラムさんから学んだことを後進に受け継いでもらいたいと考えている。面識のない選手も含め(今ではそちらの方が多数派だが)、この時期になるとプラムさんの墓参りに選手たちを連れて行くのだという。

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